私たち人間は、間違った理由から間違った人に権力を与えてしまうのかもしれない。
2008年にスイスの研究者たちが、実験を行ってこの仮説を検証した。
彼らは、5~13歳の地元の子どもを681人集めた。そして、コンピューターのシミュレーションをするように求めた。
そのシミュレーションでは、これから航海に旅立つ船について、決定を下さなければならなかった。子どもたちはそれぞれ、画面に表示された2つの顔に基づいて、自分のデジタルの船の船長を選ぶ必要があった。他には何の情報も与えられなかった。
こうして、子どもたちがやむをえず選ばなければならない設定になっていた。どんな顔の人が、良い船長に見えるか? 想像上の船にとって、誰が有能な指導者になりそうに見えるだろうか?
子どもたちは知らなかったが、船長候補の2人は、ただランダムに選んだわけではなかった。じつは、フランスの国民議会選挙で争ったばかりの政治家たちだった。
顔の組み合わせは、ランダムに子どもたちに割り当てたが、どれも1人は当選者、もう1人は次点の候補となっていた。
研究の結果は、驚くべきものだった。全体の71%で子どもたちは選挙に当選した候補者を船長に選んだのだ。同じ実験を大人を相手にやってみると、ほぼそっくりの結果が出たので、研究者たちは再び仰天する羽目になった。
この結果は、2つの点で注目に値する。第1に、子どもたちでさえ、顔だけを手掛かりに、選挙の当選者を正確に見分けられること。そこからは、私たちの評価がどれほど表面的かが歴然とする。
そして第2に、権力を握らせる人を選ぶにあたっては、子どもも大人も、認知処理の仕方が根本的に違うわけではないこと。これは、人を「額面どおりに」受け止めるという言葉に、新たな意味を与えてくれた〔訳注 原文で「額面どおりに」に当たる語句は「at face value」で、「face」には「顔」という意味もある〕。
指導者を選出する私たちの能力には欠陥があることを示すさらなる証拠として、他のいくつかの研究が示しているように、グループ討論でより攻撃的あるいはぶしつけな人は、より協力的あるいは控え目な人よりも、権力があり、指導者らしいと認識される。
いやはや、早くも話がややこしくなってきた。権力は、善人を腐敗させうる。だが、権力は悪人を引き寄せもするのかもしれない。そして、私たち人間はどういうわけか、不適当な理由から不適当な指導者に引きつけられるのかもしれない。
あいにく、このややこしい話はほんの手始めにすぎない。他にもまだ考えるべき可能性があるのだ。
権力の座にある人が悪事を働くのは、そもそも彼らが悪人だからではなく、権力を握ってから邪(よこしま)になったからでもなく、劣悪な制度にはまり込んでしまったからだったとしたらどうだろう?