こういう話はもちろん家族の中にだってある。何かと優秀な兄弟・姉妹に劣等感を抱いている人、確かにいらっしゃるわよね。1つ考えておくべきは、「本当に比較されていたのか」という問題よ。
もちろん露骨に比較されていることもあるけれど、よくよくお話を聞くと「本当に比較されていたかはっきりしない」ケースが多いの。「愛情たっぷり、いい子に育ってほしい」と願い、比較したり露骨に差をつけたりして育てないようにする親のほうが多いと思うわ。
つまり、これは「嫌われているかもしれない」と思う問題とよく似ていて、受け手の感じ方の問題なの。「嫌われているかもしれない」ことに敏感な人は一定数存在するわ。こうした人はあいさつの返事が1回なかったこと、何となく口数が少なかったことなど「ちょっとした行き違い」を大きく解釈してしまいがちね。
あいさつの返事が1回ぐらいなくても、考え事をしていただけかもしれないし、うっかり忘れただけかもしれない。口数が少なかったのも、疲れていただけかもしれないし、喉がちょっと痛くて声が出なかったのかもしれない。相手の事情を考えることなく「嫌われたのかもしれない」とモヤモヤしていないかしら。
この場合、本質は他人に嫌われたことではなく、「嫌われることに敏感で、不安になりがちな自分自身」よ。自分自身の感じ方に目を向けないと問題は解決しないわ。
案の定、「親に比較されてつらかった」という人の親に、(本人の同意を得て)お話をうかがうと、「まさかそんな風に感じていたなんて」とびっくりされるわ。
無意識に親が比較していて、子ども自身がそれを感じとっていた可能性もあるけれど、そうだとしても問題は本人の「劣等感」にあるの。この劣等感に焦点を当てなければ、モヤモヤは解決しないわ。もし、親が本当に比較していても、劣等感がなければ気にも留めないはずよ。
では具体的にどうしたらいいのかしら? 方法を2つご紹介するわね。
1つめは、比較されてつらいと感じている対象を考えてみる方法ね。本当に比較されていたかどうかは気にしなくていいわ。たとえば見た目、スポーツや勉強の出来など、何かあるはずよ。
そして対象がわかったら、その劣等感を解消する方法を検討するの。対象に向きあって克服するのもいいし、得意なことを伸ばすのもいいわね。たとえば、勉強が不得意でも、得意なコミュニケーションをさらに伸ばすなどね。もちろん、両方を組みあわせてもいいと思うわ。たとえば、「苦手な英語を勉強しながら、PTA役員の務めを果たす」とかね。
もう1つは、親との関係性を薄くする方法もあるわ。関係性を「薄くする」という表現は一般的ではないけれど、状況は伝わるかしら。冷たくするのではなく「薄く」する。これは親以外にも目を向けるということよ。親の比較が気になるのは、自分の意識のベクトルが親に向いているということ。親離れできていないと言えるかもしれないわね。
友人や恋人、先輩・後輩など、親以外との関係性を「濃く」すれば、親からどう思われているのかは自然と気にならなくなるの。アテクシも母親に「もっときちんとしなさい」と今も言われるけど、特に気にはならないわ。親以外の周囲との関係でそれなりに「きちんとしている」とわかっているからね。