笑顔を見れば、相手は心を開きます。逆に仏頂面や怒った顔を向けられると、相手は心を閉ざします。笑顔でないと、せっかくの親切心も伝わらないのです。
仏教では、和顔施(わがんせ:笑顔)は「無財の七施(しちせ)」、つまりお金のかからないお布施の1つに数えられています。人間関係において“笑顔の出し惜しみ”は御法度ですよ。
あなたはみんなに「いい人」だと思われたいですか? だとしたら、それはやめたほうがいい。なぜなら「誰にとってもいい人」になろうとして、接する人ごとに「いい人」を演じ分けなければならなくなるからです。
十人いれば十人、百人いれば百人、千人いれば千人……それぞれにとっての「いい人」は異なります。そんなに大勢の人にとって都合のいいように自分を変えていくなんて、想像しただけでものすごく疲れます。
「怪人二十面相」よろしく、相手に合わせて“いい人仮面”をかぶっていると、やがて自分自身を見失ってしまうのです。
すでに複数の“いい人仮面”を有している自覚のある人は、すぐにすべての仮面を捨てるべし。そして「私は“素顔の私”をつらぬく」と、心を切り替えましょう。
周囲だって、しっかりとキャラの立ったあなたと向き合うほうが、「この人はこういう考え方をするんだな。こんな好みがあるんだな。これが得意なんだな」と理解を深めてくれるはずです。
小さなことは“放念”する――“心の天気”の晴らし方
不平不満ばかりいっていると、心に暗雲が広がります。
視界がどんどん狭まり、先行きがまったく見通せない、そんな状況に陥るでしょう。広く開放された心持ちを取り戻さないと、ずーっと冴えない気持ちで暮らすことになります。
では、どうすれば“心の天気”を曇りから晴れへと切り替えられるのか。とっておきの方法があります。それは、どこまでも続く広大な青い空を見上げることです。
私たちはふだん歩くときには足元を見ているし、仕事のときには目線をまっすぐパソコンの画面に向けていることが多いですよね。最近は1日中スマホの画面を見ている人も少なくないでしょう。そう、1日に一度も空を見上げない人が大多数なのです。
そんなふうだから心持ちがどんどん縮こまる一方なのです。
だまされたと思って、空を見上げてみてください。「自分はなんてちっぽけな心持ちでいることか。もっと広い心を持たねば」と再認識させられます。
と同時に、ぶつぶつと不平・不満をもらしていたことがどうでもいいことのように思えてくるでしょう。
空を見上げることには、心をカラリと浄化する作用があるのです。
人はよく「ああすればよかった、こうすればよかった、あんなことをいわなきゃよかった」と悩みます。どんなに悔いたり、悩んだりしたところで、過去に戻ってやり直すことはできないのに、いつまでも自らの過去の所業に傷つけられてしまうのです。
そんなふうに過去への執着が断ち切れない人は、「自分は毎日死ぬ」という考え方を取り入れてはいかがでしょうか。
室町時代だったか、ある高名な禅僧に「毎晩、自分のお葬式を営んだ」方がおられます。「今日の自分は死にました」と、毎夜毎夜、今日の自分を葬ってあげることによって、過去をも“亡き者”にしたわけです。
ここまでやると、過去への執着が断ち切れるのではないでしょうか。
禅では常に「いまを生き抜く」ことだけを考えます。「過去は過ぎ去るのみ。人はいましか生きられない」とし、いまを生きることを「一大事」と表現します。
誰しも、いろいろ失敗したり、後悔したりすることはあるでしょうけど、反省することで過去を弔えば、その経験が将来の糧になるのです。