お家芸がお荷物に「液晶のシャープ」衰退の真因

町田氏は生産の国内回帰を実現した。大画面テレビ用液晶パネルを増産するため、亀山第1工場(三重県亀山市)に加えて、2006年10月に亀山第2工場も稼働した。

その背景には海外事業部長時代の苦い経験があった。プラザ合意(1985年)以降、急激な円高に直面し、日本メーカーは生産拠点を相次いで東南アジアへ移した。その結果、努力しなくても低コストで生産できるようになり、町田氏によれば「その後10年間、(シャープの)生産技術は進化しなかった」と言う。

「液晶テレビの大成功」という果実を手にし、同事業はまだまだいける、いや、まだまだ拡大していかないといけない、と判断したのだろう。そして、町田氏の後継者となり路線を継承した片山幹雄氏は、さらに発展拡大しようとした。社長就任から3カ月後の2007年7月末、片山氏は堺工場の建設を発表した。「蓄積」というシャープの遺伝子からして順当な戦略的意思決定であるように見られた。

蓄積を重んじる企業文化ゆえの結果?

予見力の重要性を強調していた町田氏が、なぜ、新規事業育成という点で、それを十分発揮できなかったのか。皮肉な論理に聞こえるかもしれないが、蓄積を重んじ、先輩(創業者や前社長)を尊重する企業文化ゆえ、液晶に集中し過ぎ、その結果、「液晶一本足打法」と揶揄されるようになったのだろう。

次の言葉を忘れていたのではないか。

「いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術をもって、広く世界の文化と福祉の向上に貢献する」

2代目社長の佐伯旭(あきら)氏が、創業者の早川徳次氏の精神をくんで、1973年に定めた経営理念の一節である。この文言に反し、近年、シャープはいたずらに規模を追ってしまった。だが、それよりも問題だったのは、液晶という既存の主力事業ばかりに目が行き、「誠意と独自の技術をもって」新規事業をタイムリーに創出できず、端境期をつくってしまったことである。

もう1つの反省点は、経営者の「自信過剰バイアス」である。これは、自身の能力や知識を過大評価し、自信を持ち過ぎる傾向を指す。具体的に言えば、「液晶のシャープ」で成功し、今後も好調に推移すると予見する「予測的自信過剰」が生じる。その結果、身の丈以上の投資をしてしまう。大工場をつくり、シャープの優れた液晶技術をもってすれば敵なし、と保有する能力を過大評価する「行動的自信過剰」につながった。

「自信過剰バイアス」は、企業が競争優位を維持するためには、自社だけが持つ独自の能力や技術を活かすことが重要だとするコアコンピタンスと表裏一体である。シャープは液晶をコアコンピタンスにした。

創業者が晩年、色紙に書いていた「言葉」

もともと、電卓で使われた太陽電池とともにシャープの成長を支える事業だったが、液晶の存在感が高まりすぎ、コアコンピタンスにはなったものの、分かり易く言えば「専門バカ」に陥ってしまったのだ。そして、経営者の意識も健全な多角化へと向かわず、ビッグビジネスの液晶へ偏重してしまった。「いたずらに規模のみを追わず」の精神を忘れてしまったかのようだ。

苦労の末、シャープを創業し、その後も、何度も挫折を経験した早川徳次氏は、晩年、講演会場で色紙にサインを求められたとき、必ず、こう書いた。

「なにくそ」

2016年にシャープを買収した台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業(=フォックスコングループ)は、次世代通信や人工知能(AI)などの分野で協業し、シャープの再建を支援していくとしている。

2023年4月17日、幕張事業所(千葉市美浜区)で「111周年記念イベント」を開催し、創業家の早川家の人々を招待した。「早川徳次氏の創業精神を尊重している」と強調していた。シャープは自信過剰バイアスが解け、いたずらに規模のみを追わない「なにくそ」の精神で復活なるか。まだ、建設的な具体的戦略は見えてこない。