日々生きていると、イヤな目に遭うことは避けられません。
他人から理不尽に怒られたり、近所の人にゴミ出しのことで文句を言われたり、いきなり天気が崩れて休日の予定が台無しになったり。誰かにぶつかってこられたとか、足を踏まれたとか、どんなにお金持ちだろうと、イヤな思いをすることは必ずあります。
時には、過去の失敗や不運がフラッシュバックしてきて、「ああー!」と頭を抱えたくなることだってあるでしょう。
僕自身も以前はこういうことがあったんですけど、対処法を見つけてからは、大して気にならなくなりました。
注意してほしいのは、「イヤな記憶」への対応方法は、個々人のタイプによるということ。世の中には、大きくわけて次の2種類の人間が存在します。
僕は前者だということがわかっているので、それに応じた対処法を取るようにしているわけですが、もしあなたが後者の場合は、これから紹介する方法を無理に実行しないほうがいいでしょう。
一、二度試してみて、どうしてもストレスが悪化するのであれば、あとでお伝えする別の方法を検討してください。
「イヤな記憶」に対する僕の対処法は簡単で、あえて何度もそのことを思い出すようにするというもの。
たとえば、電車の中で足を踏まれて、なおかつ怒鳴られるなんて理不尽な目に遭ったら、すごくムカつきますよね。
だけど、それを何度も何度も思い出していると、そのうち何も感じなくなる。人間の脳は、同じ刺激に慣れる性質がありますから(繰り返しますが、何度思い出しても慣れない人は、無理に思い出そうとはしないでください)。
足を踏まれて怒鳴られた時、自分ははたしてどうすればよかったのか。こっちも怒鳴り返してやったら、すっきりしたのか。
でも、そんなことをすればさらにもめてもっとイヤな気分になっていたかもしれない。いや、やっぱり怒鳴り返すべきだったのか。でも現実にはそうしなかったし、今さらどうしようもない。じゃあ、やらなかった過去の自分が悪いのか。だけど、自分に非がないのに、なぜ自分を責めなければいけないのか……。
こんなことを繰り返し考えていると、僕はどうでもよくなってきちゃうんですね。
イヤなことがあった時にあれこれ悩んでしまうのは、「こうすればよかった」という後悔があるからです。
だけどたとえば、いきなり怒鳴られて動揺したら、とっさにうまい反応なんてなかなかできないですよね。だから、その時の自分の反応なんて、どうしようもないことです。よく考えてみると人間って、そんなに自分の言動に主導権を持っていません。
雨が降ってきた時、雨に対して真剣に怒る人はいないじゃないですか。もちろん、にわか雨に降られたらぶつくさ文句を言うにしても、雨自体に怒っているわけではないでしょう。僕たちは、自然現象に対してある意味あきらめている。
であれば、自分自身の反応も自然現象だと考えてみる。「自分がどうにかできること」ではないと認識すれば、雨に怒らないのと同じで、どうでもよくなってくるわけなのですよ。