心理的安全性のある職場は「Nice」ではなく「Kind」

ファイルを持つ中堅社員
ビジネスの場で仲良くなりすぎてしまうと、否定の意見が言えず忖度してしまうことも……。はたしてそれは「健全な職場環境」と言えるのでしょうか(写真:shimi/PIXTA)
「心理的安全性」について、その言葉の印象から、お互いに厳しいことを言わない、仲良しの状態だと考えている人もいる。だがそうではなく、実態はむしろ逆だ。元Googleの人材開発責任者でもあるピョートル・フェリクス・グジバチ氏の『心理的安全性 最強の教科書』(東洋経済新報社)から、心理的安全性の本当の意味を解説する。
 

心理的安全性のある職場は、みんな仲良く、お互いに厳しいことを言ったりしない。そう誤解している方も多いのですが、表面上は仲良く見えたり、上司が部下にやさしい言葉をかけていたりしても、本当に大切なことを伝えなかったり、お互いの本音や腹の底を見せ合ったりしていなければ、心理的安全性が高い職場とは言えません。

本音が出せない職場に生まれる「忖度」

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相手のミスや間違いに気づいていても誰も指摘しないことは、むしろ心理的安全性の低い職場でよく見られます。指摘することで人間関係にひびが入るのを恐れたり、「指摘自体が間違っていたらどうしよう」と気になったりして、言うのをためらってしまうのです。

その結果、取り返しのつかないミスに発展したり、プロジェクトが頓挫したりして、なんとなく職場の空気が悪くなってしまうこともあるのではないでしょうか。

このように、表面的にはやさしいけれど、肝心なことを言葉にしない、間違いを指摘し合わない職場では、いかに相手の顔色や空気を読み、相手の気持ちを察するかが、自分の身を守るために大事になってきます。つまり「忖度」です。日本の企業にはこうした忖度を求められる職場が多いように思います。

忖度しなければならない職場が、心理的安全性の高い職場と言えるでしょうか。

「安全性」という言葉の印象からか、「心理的安全性のある職場って、誰も厳しいことを言わず、意見の対立がない、安心して働ける平和な職場のことですよね?」と思っている方もいるようです。でもそれは、まったくの誤解です。

もちろん、パワハラや人権侵害になるような言動は、言うまでもなく御法度です。でも心理的安全性を高めるという観点からは、人格に対してではなく事柄に対して厳しいことをお互いにストレートに言ったり、考えが異なる人同士が意見を戦わせることは、まったく問題ではありません。

心理的安全性はゴールではなく手段です。ゴールは何かというと、チームで成果をあげることです。それに資する行為であれば、厳しい意見や、侃々諤々の議論は望むところ。むしろ、心理的安全性があるから、それが可能になる、と考えてください。

ここであらためて心理的安全性の定義について、この言葉の提唱者であるエイミー・エドモンドソン氏の定義と、僕なりの解釈を記しておきます。

エイミー・エドモンドソン氏の「心理的安全性」の定義

「対人関係においてリスクのある行動を取っても、『このチームなら馬鹿にされたり罰せられたりしない』と信じられる状態」

僕の「心理的安全性」の解釈

「メンバーがネガティブなプレッシャーを受けずに自分らしくいられる状態」

「お互いに高め合える関係を持って、建設的な意見の対立が奨励されること」

これらは具体的にどのような状態なのか説明しましょう。

上司がミスをした。あなたならどうする?

次のような場面を想像してみてください。