一部の細菌集団は攻撃的に見える反応を示し、戦い合って大きな損失を出した。一方、ほかの細菌集団は仲良くしあって生き延びた。この状態が数千世代にわたって続いたのだ。我々人類におけるスパルタやナチスドイツ、そして平和主義国家と同じものが、大腸菌の世界にも存在するのだ。
我々人類は成長して、反射的反応に支配されるたぐいの生活からは卒業しているが、そのような反応はほとんどの人が気づいている以上に我々の行動を左右している。
たとえば、学生の実験協力者が通りすがりの人に小銭をせびるという設定の、互いによく似た2つの実験について考えてみよう。
一方の実験はサンフランシスコのショッピング街で、もう一方の実験はサンタクルーズの埠頭の屋外でおこなわれた。いずれの実験でも、物乞いに扮した学生はTシャツにジーンズといったいかにも学生らしい服装をして、相手から1メートル以上の距離を取りながら小銭をせびった。
通行人のうち半数(対照群)には、25セントまたは50セントをくれるよう頼んだ。どちらの額でも成功率はだいたい同じで、17%の場合にお金を恵んでもらえたが、「仕事しろ」とか「ここでは物乞いは禁止だ。牢屋はきっと楽しいぞ」などと侮辱されることもあった。しかし大多数の通行人は無視して歩き去った。
これらの地区には物乞いが大勢いたため、研究者たちは、頭で考えてからお金を恵んでやる通行人なんてほとんどいないのではないかとにらんだ。おおかたの人は、「物乞いからお金をせびられたら無視せよ」といった頭の中のルールに基づいて、自動的に反応したというのだ。
そこで研究者たちは次のような仮説を立てた。この台本を混乱させて通行人がじっくり考えたくなるよう仕向ければ、物乞いの成功率が上がるかもしれない。そこで残り半数の通行人には、聞いたことのないような頼みごとをした。
「ねえねえ、37セントくれない?」。対照群における25セントと50セントのだいたい中間の額だ。
狙いは、通行人が半端な数を聞いて注意を向け、頭の中のルールを当てはめるのをやめて要求の内容を意識的に考えるよう促すことだった。
この策は功を奏し、サンフランシスコでの実験ではお金をもらえる確率が17%から73%に上昇した。
ふつうならほとんど注意を向けられない状況で、要求に応えさせる確率を高めるこの戦法は、ピークテクニックと呼ばれている。あなたもたびたびお目にかかっているかもしれない。
私も、制限時速33マイルとか店頭商品17.5%オフといった中途半端な表示を1度か2度見たことがある。
反射的反応は人が進化を通じて受け継いできた基本的特徴の1つだが、どこかの時点でその方法が改良されて、周囲の困難に対応するためのさらなるシステムが備わった。より柔軟で、それゆえより強力なシステムである。それが情動である。
情動は、我々の心の中でおこなわれる情報処理において、反射的反応の1つ上のレベルに位置しており、ルールに基づいた厳格な反射的反応よりもはるかに優れている。
原始的な脳を持つ動物ですら、情動のおかげで、環境に合わせて精神状態を調節できる。それによって、刺激と反応の対応関係を周囲の特定の要素に合わせて変化させたり、さらには先延ばしにしたりできる。
人間の場合、情動のもたらすこの柔軟性のおかげで、理性的な心からの入力も受け入れて、より優れた決断やより高度な行動をおこなうことができる。
(翻訳:水谷淳)