動物の行動の大部分もそうで、あたかも愛情や思慮に満ちているように見えるものも含む。
たとえば、親鳥は雛が口を開けるとその中に餌を入れる。しかし相手が自分の子供でなくよその子供でも、さらには鳥の雛でなくても、同じくこの行動を取る。大きく開いた口のように見えるものがきっかけで演じられる台本なのだ。YouTubeには、口を開けた金魚に小鳥が近づいていって餌を与える動画まで上がっている。
さらに複雑な精神的反射としては、特定の社会的状況に対してしばしば起こる強い反射、いわば心理的な「押しボタン」とも言えるものがある。
膝の腱をたたかれると脛が持ち上がるのと同じように、ある経験が引き金となって過去の癒やされていない問題が頭の中に甦ってくると、心理的な「押しボタン」が押されることがある。
よくある引き金としては、誰かに無視される、ルールを破られる、うそをつかれる、けなされる、あるいは、「お前は絶対に……」とか「お前はいつでも……」などといった言い方をされることなどが挙げられる。
引き金と反応のサイクルの形成に情動が関わっているかどうかにかかわらず、このような出来事によって即座に無意識の反応が起これば、それは膝蓋腱反射に相当する精神的反射であるといえる。
臨床心理士はこの問題をしょっちゅう相手にしている。同僚や友人、家族にこのような押しボタンを押されてしまうと、大変なことになりかねないのだ。それ以外の関係性が良好であっても、衝突の応酬に陥りかねない。友人や家族に押しボタンがあることが分かったら、それを押さないようにするのが肝心だ。
自分に押しボタンがあるのに気づいたら、それが利かないように努めるのがいい。
たとえば自宅で働く私の友人は、集中しているときに夫が仕事場に入ってくるとつい怒鳴ってしまうという。子供の頃にプライバシーがほとんどなく、個人空間も守られていなかった彼女は、それが押しボタンになっていることに気づいた。
するとそれ以降は、夫がたびたび邪魔をしてきても以前ほど気にならなくなったし、なるべく邪魔をしないでくれと落ち着いて頼めるようになった。
押しボタンが押されたことに気づけるようになって、意識的に反応を変えるだけで、問題が改善することも多い。
ちょうど、オートパイロットモードで運転中に意識的な制御に切り替えて、前方の渋滞箇所を回避するルートに切り替えるようなものだ。
反射的反応なんて原始的で取るに足らないものと無視したくなるかもしれないが、実は強力で、人間以外の動物にとっても我々人間にとっても重要な動作モードの1つである。そして単純な動物の場合には、もっとも重要な役割を担っている。
反射的反応のパワーを物語る例として、もっとも単純な生物である細菌の繁栄が挙げられる。
我々人間が長時間働かずに生活費を稼ごうとするのと同じように、細菌という生物マシンは、同じ時間内にできるだけたくさんの食物エネルギーを摂取しようとする。そしてそのために、完全に台本どおりの「行動」を取る。
複雑だが自動的な化学的手段を使って、餌に近づいていってむさぼり食い、有害物質を避けるのだ。さらに細菌は、特定の分子を放出して信号を送り合うことで、集団として協力しあうことまでする。
「細菌の『行為』は目を見張るほど多様である」と神経科学者のアントニオ・ダマシオは記している。
細菌は互いに協力しあい、非協力的な個体を避ける(「鼻であしらう」と表現する研究者もいる)。ダマシオはその一例として、複数の細菌集団にフラスコの中の資源を巡って競い合うよう仕向けた実験について述べている。