文章を書くことに苦手意識を持っているという人は少なくない。ただ、5月10日配信の「文章が書けないと悩む人が陥っている3つの誤解」でお伝えしたように書けずに悩んでいる人の多くに共通するのは以下の3点だと私は考えている。
これらを踏まえたうえで、拙著『「書くのが苦手」な人のための文章術』の一部を引用しながら、文章を「読むこと」について今回は考えてみたい。自分以外の誰かが書いた文章を読むことは、いい文章を書けるようになるために欠かせないことだからだ。しかも、できる限り「いい文章」を読んだほうがいい。
クローズアップしたいのは、インターネットで文章を読むときに注意しておきたいことだ。ネットは読むことを身近にしてくれたが、そこには問題も残っているからだ。
インターネットが主流になる以前、すなわち紙媒体が主流だった時代にも、当然ながら“読む習慣”を持たない人はいたはずだ。しかし、いまやそういう人たちでさえ、ネットを通じて(無意識のうちに)さまざまな文章を読んでいる。そういう意味では、ネットが文章を身近なものにしてくれたと考えることもできるだろう。
ただし、そこには便利な時代ならではの問題もある。いちばん大きいのは、ネット上に「プロ(書き手と編集者)の手が入った文章」と「プロの手が入っていない文章」が混在していることだ。
決して、出版社や新聞社の媒体だけを必要以上に持ち上げたいわけではない。だが現実的に、それらの媒体には、相応の訓練を受けてきたプロの手が加わっているのだ。古物商が真贋を見極める能力を持っていたり、料理人が魚の鮮度を見分けられるのと同じことだ。
一方、編集者的な視点を持たないウェブメディア、運営している個人の主観だけが拠りどころになっているメディア(まとめサイトなど)、あるいはブログなどの個人メディアの場合は、必ずしも客観性が担保されているわけではない。もちろん客観的なものもあるだろうが、論旨や思想に偏りがあるものも同じように“そこにある”わけである。
したがって必要なのは、読者1人ひとりが「この文章は信頼に値するだろうか」という視点を持っておくこと。たしかに面倒ではあるけれども、「そういうものだ」と前向きに割り切って、できる限りフラットな視点を持つように心がけたほうがいいわけである。
とはいえ、その文章が信頼できるものであるか否かは、なかなか判断しづらいものではある。では、どうすればいいのか? 判断力を身につけるために必要なのは、とにかく読む習慣をつけることだ。