文章力に自信のない人は文章を読む量が足りない

最初はわからなくてもたくさん読んで慣れてくると「いい文章」とは何かが見えてきます(写真:KiRi/PIXTA)

文章を書くことに苦手意識を持っているという人は少なくない。ただ、5月10日配信の「文章が書けないと悩む人が陥っている3つの誤解」でお伝えしたように書けずに悩んでいる人の多くに共通するのは以下の3点だと私は考えている。

① 「書けない」と思い込んでいるにすぎない
⓶ 「書き慣れていない」から「苦手」になっている
③ 書くことを難しく考えすぎている

これらを踏まえたうえで、拙著『「書くのが苦手」な人のための文章術』の一部を引用しながら、文章を「読むこと」について今回は考えてみたい。自分以外の誰かが書いた文章を読むことは、いい文章を書けるようになるために欠かせないことだからだ。しかも、できる限り「いい文章」を読んだほうがいい。

いい文章をストックする

<「いい文章」を読む習慣をつければ、無理なく頭のなかに“いい部分”をストックできるようになり、自分が書く際にそれを活用できるのです。ビジネスでもプライベートでも「多くの引き出しを持っておく」ことの重要性が説かれることがありますが、まさに同じことが文章を書く際にもあてはまるわけです。(77ページより)>

クローズアップしたいのは、インターネットで文章を読むときに注意しておきたいことだ。ネットは読むことを身近にしてくれたが、そこには問題も残っているからだ。

インターネットが主流になる以前、すなわち紙媒体が主流だった時代にも、当然ながら“読む習慣”を持たない人はいたはずだ。しかし、いまやそういう人たちでさえ、ネットを通じて(無意識のうちに)さまざまな文章を読んでいる。そういう意味では、ネットが文章を身近なものにしてくれたと考えることもできるだろう。

ただし、そこには便利な時代ならではの問題もある。いちばん大きいのは、ネット上に「プロ(書き手と編集者)の手が入った文章」と「プロの手が入っていない文章」が混在していることだ。

<「そんな些細なことか」と思われるかもしれませんが、両者の差は歴然としています。端的にいえば、それは客観性の有無。おもに出版社や新聞社の紙媒体、あるいは彼らが関わっているウェブメディアには、“編集者的な視点”が入っているものです。「これは記事にしていいものか」「記事にすべきものか」「文章表現や書かれている内容は正しいか」というような客観性があるので信頼性が高く、だから安心して読めるわけです。(78~79ページより)>

決して、出版社や新聞社の媒体だけを必要以上に持ち上げたいわけではない。だが現実的に、それらの媒体には、相応の訓練を受けてきたプロの手が加わっているのだ。古物商が真贋を見極める能力を持っていたり、料理人が魚の鮮度を見分けられるのと同じことだ。

「信頼に値するか」という視点を持つのが大事

一方、編集者的な視点を持たないウェブメディア、運営している個人の主観だけが拠りどころになっているメディア(まとめサイトなど)、あるいはブログなどの個人メディアの場合は、必ずしも客観性が担保されているわけではない。もちろん客観的なものもあるだろうが、論旨や思想に偏りがあるものも同じように“そこにある”わけである。

したがって必要なのは、読者1人ひとりが「この文章は信頼に値するだろうか」という視点を持っておくこと。たしかに面倒ではあるけれども、「そういうものだ」と前向きに割り切って、できる限りフラットな視点を持つように心がけたほうがいいわけである。

とはいえ、その文章が信頼できるものであるか否かは、なかなか判断しづらいものではある。では、どうすればいいのか? 判断力を身につけるために必要なのは、とにかく読む習慣をつけることだ。