「もしかしたら、自分はコミュ障なんじゃないか?」
そんなふうに悩んでいる人というのは、意外と少なくありません。
そもそも「コミュ障」というのは「コミュニケーション障害」の略語。若干、自嘲(じちょう)気味に使われることの多いネット発のスラングです。
実際に、障害というほどの困難を抱えているケースは少ないかもしれませんけど、人知れずコミュニケーションに不安を感じている人は、一定数いるようです。
お金がないだとか、体の調子が悪いだとか、ぜんぜん勉強ができないというような、もっと物理的な悩みもありますが、社会生活を送るうえでの普遍的な悩みには、人間関係にまつわるものが圧倒的に多いのですね。
僕はユーチューブで、ダラダラお酒を飲みながらいろいろな質問を受けてひたすらそれに答えまくる、みたいな生配信をやっていますが、悩み相談もたくさんきます。
「人間関係がうまくいかない」「コミュ障をなんとかしたい」と苦しんでいる人も多い。
そうやって質問を受けていて感じるのは、コミュ障で悩んでいる人は、こじらせている人が多いということです。こじらせているというのは、劣等感が強かったり、ひねくれていたりと、何やら面倒な感じに陥ってしまっている状態ですね。
こじらせたことでコミュ障になるのか、もともとコミュ障だからこじらせてしまうのか、どっちが先かは僕にもわかりません。いずれにしても、こじらせている人のコミュ障率は高い印象です。
コミュ障をなんとか克服しようとして、余計に「こじらせ」が悪化してしまう人も多い気がするのですが、程度にもよりますけど、実はコミュ障は治りません。
大人になってから性格を変えるのは、そうとう難しいことです。
100パーセント不可能というわけではないですけど、「性格は変えられる」と信じている人であっても、その9割以上は変えることができないのではないかと思います。
そもそも性格というのはもって生まれた性質という部分が大きくて、生まれた段階でほぼ決まっているらしいのですね。
好奇心が旺盛(おうせい)な性格に生まれた人は、大人になってもやっぱり好奇心旺盛です。
誰かに言われなくても、自分から知りたいことをどんどん見つけていき、どんどん調べて知識を増やしていきます。
それがプラスに受けとめられることもあれば、「こいつは組織のルールから逸脱しているな」なんて思われて厄介者(やっかいもの)扱いされる場合もあります。そのあたりの評価は、本人が属している組織次第だったりします。
危険も顧(かえり)みない猪突猛進(ちょとつもうしん)なタイプの人は幼少期から、たとえ危ないこと、大人に怒られるようなことでも、ぜんぜん気にせず平気でやってしまう行動パターンをもっていたりします。
一方で、子供のころから引っ込み思案だった人というのは、周囲がどう声がけしようが、表に引っ張り出そうとしようが、基本的には引っ込み思案なまま大人になります。
とはいえ、年齢を重ねるにつれて、ある程度は自分の行動をコントロールすることができるようになってきます。