意見の対立はたいてい「3つの領域」で起きている

だらだらと続く会議や同じ内容で争ってばかりの夫婦喧嘩を「終わらせる」には、議論の仕方を知る必要があります(写真:cerisier117/PIXTA)
だらだらと続く会議や、同じ内容で争ってばかりの夫婦喧嘩など、「終わらない議論」にいらだちを感じることはないだろうか。議論が平行線、あるいは打開策が見いだせないのは、問題の中身が整理できていないからかもしれない。アマゾンやツイッターなどでプロダクトリーダーを務めた経験を持ち、『会議を上手に終わらせるには 対立の技法』の著者である、バスター・ベンソン氏は、議論をスムーズに進める1つの手法として、問題をまず3つの領域に分ける方法を提唱している。ここでは、その3分割方について説明する。

人間関係は「庭」に似ている

私は、結婚してから6年間で5回も引っ越しをしていたので、2014年にカリフォルニア州バークレーに家を買ったとき、こんどこそはここに根を下ろそうと決めた。当時、長男のニコは4歳だったので、学校に通いはじめてから、学校や友人が変わるのはかわいそうだと思ったのだ。

私たちの土地に別のものも根を下ろすと決めていたことを知ったのは、翌春だった。カタバミという黄色い花を咲かせる小さくてかわいらしい植物だ。

初めてカタバミを退治したとき、これで片がついたと思った。でも、カタバミにかぎってそんなことはない。1枚葉っぱを引っこ抜いても、その下には何十倍という数の小さな根っこがこれから芽を出そうと控えている。新居に引っ越し、これから庭づくりに励もうと意気込んでいる新しい家主たちをさげすむかのように、その小さな黄色い花は私たちに悪夢をもたらした。

いったいどうすれば駆除できるのか? 私は行く先々でカタバミを目にするようになり、庭に生えているカタバミの多さで近所の人々を値踏みするようにさえなった。

人間関係は庭に似ている。そして、庭には必ず雑草がある。議論や論争というのはいわば、私たちが意図的に植えた植物のまわりに生えてくる小さな人間関係の雑草だ。さほど害がなく、生えてくるたびにスパッと取り除ける雑草もあれば、あまりにも目に余るので焼き払うより方法がなく、庭の一部が丸焦げになって何年間も使い物にならなくなってしまうような雑草もある。

どっちにしろ、雑草は必ずよみがえる。必死で駆除しようとしても、新しい1日や季節が確実に巡ってくるのと同じように、必ずまた生えてくるのだ。

このことは、交わした議論だけでなく、まだ交わしていない議論にも当てはまる。議論に終わりはない。議論は長い長い根を持ち、表面的には消えたように見えても、じっと身を潜めているにすぎない。

(イラスト:早川書房提供)

人間関係では、お互いの趣味や嗜好の差を埋めるために、定期的に意見の折り合いをつけることが不可欠だ。たぶん、相手の趣味や嗜好を自分と同じものへと永久に"心変わり"させる有力な戦略なんてものはこの世に存在しないだろう。

この点はよくよく考えれば当たり前にも思えるけれど、「私にとって有意義なのは何か?」をめぐる議論を、「ふたりの嗜好のバランスを取るうまい方法は何か?」というような種類の議論とごっちゃにすると、簡単に行き詰まってしまう。私は今、この人とどういう種類の議論をしているのか? それを把握するため、意見の対立が生じる領域を、頭、心、手の3つに分けて考えてみよう。

意見の対立はどの領域で起きているのか

 意見の対立を生産的なものに変えるいちばんの近道は、相手にこうたずねてみることだ。「これは"何が事実か" の問題なのか、"何が有意義か" の問題なのか、"何が有効か" の問題なのか、どれなんだろうね?」。別の言い方をするなら、「頭」「心」「手」のうち、どれに関する問題なのだろう? 答えが相手と一致すれば儲けものだ。解決まであと一歩のところまで来ている。