アップルの低迷→復活の歴史に見えてくる本質

このような流れの中でアップルの業績は低迷し、そして社内不和は無視できないものとなりました。そうして1985年にはジョブズ氏は自ら創業したアップルを去ることとなったのです。なお、当時の日本のメディアが、

「シリコンバレーのニューヒーロー(新しい英雄)、あるいはアメリカン・ドリームの体現者と言われてきた人物にしては、みじめで、後味の悪い引き際だった」

と総括するほど、この頃のジョブズ氏への評価は低いものでした。

アップル復帰後のジョブズに鳴かず飛ばずの時代も

1990年代に入っても、アップルの経営の低迷は継続。マイクロソフトがWindowsを発表したことによってアップルの劣勢がより鮮明となりました。1996年にアップルは売上高98億ドルに対して最終赤字8億ドルを計上、1997年には売上高70億ドルに対して最終赤字10億ドルを計上するなど、その経営は行き詰まってしまっていたのです。

ボロボロになってしまったアップルは1996年、ジョブズ氏が経営に復帰します。ジョブズ氏はまず、競合であるマイクロソフトと提携し資金を確保。「Word」および「Excel」をアップルのOS向けに開発することを確約しました。

次にジョブズ氏は「製品数の削減」に着手します。当時の製品ラインナップの実に7~8割を削減することで、投資効果の向上を図りました。

この結果、1995年に110億ドルだった売上高が1998年には59億ドルへと激減するものの、1998年には0.3億ドルの純利益を計上、黒字転換することとなりました。とりあえずの止血を達成したのです。

この大がかりな製品ラインナップの削減の中でも、ジョブズ氏がアップルの社内に残したのが、コンピューターの基幹部分であるOS分野でした。アップルはMacintosh向けのOSについて、互換機を扱う他社への技術供与を中止し、自前で開発する方針を打ち出しました。その後、アップルは「Mac OS X」の自社内での開発に邁進します。

1998年には初代iMacを市場に投入し、そのカラフルな筐体が顧客の支持を獲得。復活を遂げたかに思われましたが、そのブームもまた一時的なものにすぎませんでした。ジョブズ氏の復帰以降も、アップルは鳴かず飛ばずの数年間を過ごさなければならなかったのです。

アップルが真の意味で復活を遂げるきっかけとなったのが、2001年に発表した音楽管理ソフトiTunesと、同じく2001年に発売された音楽再生のハードウェアiPodです。CDやMDを使わずにソフトウェア上で好きな音楽を大量に管理・再生できるiPodとiTunesは、徐々に世の中に受け入れられていくこととなりました。

ジョブズの評価も大きく塗り変わっていく

2005年にアップルは、売上139億ドル、純利益13億ドルを計上し、この頃にはアップルの復活は本物だという認識が定着していきました。また、ジョブズ氏への評価も大きく塗り替わっていくこととなります。ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業生に向けて、

「Stay Hungry, Stay Foolish」

とスピーチをしたのも2005年です。アップルの業績が好調になったことで、ジョブズ氏は経営者として再評価されたほか、ある種の神格化のような動きも見え始めるようになったのです。

こうして、iPodによってアップルの経営を軌道に乗せたジョブズ氏は、コンピューターのポテンシャルを駆使した製品として、2007年にiPhoneを発表しました。

このように、アップルは財務危機を競合であるマイクロソフトからの支援によって乗り切り、iPodのヒットによって復活の道筋をつけ、iPhoneによって世界的な企業として返り咲いたのです。