ずっと補助輪をつけて自転車に乗っていては、いつまでたっても補助輪なしで乗れるようにはなりません。同じように、ずっと答えを教えてあげていても、自分で考えられるようにはならないのです。
あえて補助輪を外して、親御さんが後ろで支える。だけど何度か手を離して、自分で乗れるようにする。そのために「質問」をするのです。
よく東大生は、「自分は、親に勉強しろと言われたことはなかった」と語ります。しかしこれは、本当に勉強しろと言われていなかったのではなく、親の「質問」に誘導されることで、自ら勉強しなければならないと考えるようになった、ということにほかなりません。
たしかに補助輪はなかったかもしれませんが、親御さんが後ろで支えていて、いつの間にか自分だけで運転できるようになったという場合が多いのです。
そしてこのために、東大生の親御さんは「2つのこと」を意識して質問をしています。
1つは、「決して答えを押しつけない」ということです。
例えば、「どうして勉強しないの!」と、なかば叱るのと同じ勢いで聞いてしまっては、たとえ親御さんが質問しているつもりだったとしても、子どもからしたら「親から勉強しろと口うるさく言われた」のと同じに感じてしまいます。
それで勉強しても、自分で考えるなんてことはせず、「親から叱られるから仕方なく勉強している」ことになってしまいます。
「大切なのは『子どもの意見をしっかり聞く』という姿勢を忘れないことだ」と、ある東大生の親御さんは仰っていました。
「答えありきで質問するのではなく、『自分は本当に、君の考えが聞きたいんだよ』という姿勢を徹底することで、自然と子どもはこちらに考えを表明してくれるようになります」
東大生の親御さんを取材していて強く感じるのは、みなさん非常に寛大な方が多いということでした。
大抵の場合、子どもの考えは拙いものです。聞いていて「いやいや、そうじゃないだろ!」と親御さんが知っている答えを押しつけてしまいたくなることも多いと思います。
しかし、その時にぐっと堪えて、または心の底から、「なるほど、この子はこんなふうに考えるのか」「自分の考えとは違うけれど、でも自分も子どもの考えから学ぶべきところがあるかもしれない」と、対等な立場で質問し、会話をすることができる人が多いと感じました。
これは、子どもの目から見ると非常にありがたいことです。やはり上から目線で「答え」を押しつけられてしまうと、「それに従えばいいや」と感じます。自分で考えたり、自分で意見をもったりすることを放棄してしまうのです。
でも、自分の考えを聞く姿勢を持ってくれる大人にならば、その姿勢に応えようとします。こちらもしっかりと考えようという姿勢を持てるようになるのです。
答えを押しつけないで、聞く姿勢を持ってくれる。これが、子どもが自分で考えることができるようになる1つの大きな要因なのだと思います。
東大生の親御さんがもう1つ気にしているのは、「選択肢を提示してあげる」ということです。
多くの場合、本当に自分で考えて行動できるようになるためには時間がかかりますし、質問しても「うーん」と考え込んでしまう場合があります。そんなときには、考えるための足がかりとして、選択肢を用意してあげるのだといいます。
例えば小学生に「どんな中学に入学したらいいと思う?」と聞いても、答えに窮してしまう子は多いと思います。そんな時には、「こんな中学とか、こんな中学があるけれど、どっちの中学が自分に合っていると思う?」というように、選択肢を設けて選ばせるのです。
人間は、どんな答えもありうるオープンな質問よりも、答えの種類が決まっているクローズな質問のほうが回答しやすいです。そこから、「どうしてその選択肢を選んだの?」と聞くことで、自分の考えをより深めることができるようになります。
もちろん選択肢を提示するのは親御さんですから、本当の意味で子どもが主体的にその選択をしたことにはならないかもしれません。
しかしそれでも、「自分で選んだ」のと「答えを押しつけられた」のとでは天と地ほどの差があります。「自分で選んだ」という意識がある事柄のほうが、人間は本腰を入れて、責任を持って取り組めるのです。選択肢を設けて考えさせるのは、子どもが自分で考えるための重要な足がかりになるのです。
いかがでしょうか? 質問によって「自分の頭で考える」ように誘導する方法は、子育てのタイミングだけでなく、いろんな場面で応用できる非常に効果的な方法だと感じます。ぜひ参考にしていただければと思います。