
元タレントの中居正広さんの女性トラブルにフジテレビ社員が関与したと報じられた問題は、まだ現在進行形であるし、被害者に対する十分な救済も、加害者の責任の明確化もできていない。従って、事件の具体的な詳細も明らかになっていないし、被害者の立場を考えると必ずしも全てを明らかにする必要はないとも考えられる。
けれども、アメリカから見ていると、事件発生の土壌となったとも言える制度や労働環境、あるいはビジネス風土というものには多くの違和感を持つのも事実だ。今回の事件と直接関係はなくても、メディア産業の経営環境や労働環境ということでは、参考になると思い、以下の議論を提起したいと考える。
1点目は、局アナという位置づけへの違和感である。まず、実態としては、日本でもアナウンサーという職種は、珍しく専門職採用がされて専門職のキャリアが形成されることが多い。アナウンサーには、どうしてもアナウンスの技術というものが必要であり、特別に育成が必要だし、現場経験を継続することでしか技能は向上しない。
昨今は、大学在学当時からアナウンスを学ぶ専門学校のような場所に通って、技能を事前に身につけることも流行している。従って、新卒採用においても、原石としての可能性を探すよりも、予め基礎のできている人材から選ぶことになるようだ。
つまりは、専門職化がより強く進んでいるということだ。一言で言えば、日本のジョブ型採用の先駆でもある。
世界の潮流にも合うことであるし、日本でも広範なジョブ型採用が進むのであれば、その前例ともなるであろう。けれども、そこには問題がいくつもある。
まず給与処遇が一般の局の事務員などと同一の給与体系になっていることだ。多少の上乗せはあってもいわゆる「月給制社員」のカテゴリに入る。従って高視聴率の番組に出演して知名度が上がっても、いわゆる「有名税」を本人が負担することはできない。
今回のように様々なリスクに晒される職種であるのに、そのリスクを自分でマネジメントできるだけの経済的独立は与えられていない。また個人で弁護士を雇ったり、安全確保にコストを掛けることもできない。一定の知名度を超えると、独立することで1桁以上違う高報酬を得ることもできるが、これは企業にある程度の功績を残して初めて得られる権利のようになっている。
独立が叶わない中では、月給制の正社員であるから、日本のメンバーシップ雇用の弊害である「閉ざされた共同体」の一員とされる。そこでは、危険にさらされたことを訴えても、会社が体面を気にしてウヤムヤにされるとか、場合によっては会社の方針に背くと活躍の機会を奪われる、いわゆる「宮仕えという拘束」を受けてしまう。知名度が高く、ネットなどの厳しい監視に晒され、物理的な危害を受けるリスクを抱えながらも、その自由度は少ない。
さらに女性アナウンサーの場合は、非常に悪質なルッキズムが蔓延している。アナウンサー本人も、学生時代にミスコンへ参加するなど21世紀としては驚くようなルッキズムのカルチャーに染まった人物が多い。またミスコンに入賞したことを評価して採用するなど、企業側にもそうした価値観が残っている。
輪をかけて悪質なのは、視聴者である。デスクの承認した原稿を読むことが中心ではあっても、報道つまりジャーナリズムの一員であるアナウンサーを性的関心の対象とするカルチャーが濃厚にある。
そのうえで、社員の局アナを芸能系の情報番組やエンタメの番組に使うことも多い。そうすると、女性アナウンサーは、局の社員という縛りを受けつつ、またエンタメに関しては素人で芸人のトークについては受けるだけという存在になる。そこで、局アナは一般人の代表として芸人に「いじられ」たり、「常識の観点から非常識に対して驚いて見せる」などの「地位の低い」役割を演じさせられる。