生成AIの生成物は、できあがったものをみると、テキストであれ、画像であれ映像であれ、クオリティがかなり上がってきています。
できあがったコンテンツだけをみて、人が作ったものかAIが生成したものなのかをきちんと判断できるかというと、難しいケースがあります。
できあがったプロダクト――詩や音楽のような芸術作品だけでなく、数学の定理や科学的仮説、ビジネスプラン、工学設計なども含んだ人工物のこと――に着目した場合、人と機械とでは差が見出しがたいのです。
2022年8月に画像生成AIのMidjourneyで生成された絵が美術のコンテストで1位となりました。AIを使って3週間で100篇の小説を書いて、星新一賞に入選した人も出ました。
また、AIを使って書かれた小説が芥川賞を受賞することも起きました(*1)。AIで生成した画像が権威ある写真コンテストで受賞してしまい、作品を手掛けたドイツの写真家が受賞を辞退することもありました(*2)。
こうした例は、これからも多く出てくるでしょう。生成AIを使った創作が広まり、むしろ話題にならなくなるかもしれません。
*1 島田尚朗(2024)「AIが?生んだ?芥川賞「東京都同情塔」誕生秘話を作家が明かす」『NHK WEB特集』(2024年5月31日アクセス)
*2 真田嶺(2023)「この写真に違和感ある? 権威ある写真コンで受賞→辞退,理由は…」『朝日新聞DIGITAL』(2024年5月31日アクセス)
とはいえ生成AIの学習データは、そもそもプログラマーや作家等を含むクリエイターの人たちが生み出したものです。そのため、生成AIをめぐって反発の動きが広まっています。本コラム(第2回)でも触れたように脚本家は、一時期ストライキを行いました(*3)。
GitHubのユーザは、GitHub Copilotにより自分たちのコードが不当に利用されているとして、GitHubやその親会社のマイクロソフト、開発にたずさわったOpenAIに対して集団訴訟を行いました。
作者名の帰属表示がされていないことなどを挙げ、自分たちが書いたコードを学習しているにもかかわらず、GitHub Copilot自体がプログラムを生成しているかのようにみえることを問題視しました。
また画像生成AIについては、Stable Diffusionの開発企業Stability AIや、アートのオンラインコミュニティを運営するDevianArt、Midjourneyの開発企業Midjourneyは、アーティストから集団訴訟を受けたり、画像提供サイトを運営するGetty Imagesに訴えられたりしています。
テキスト生成AIについては、ニューヨーク・タイムズが自社の記事を機械学習のデータに使われたとしてOpenAIとマイクロソフトに訴訟を起こしました。主に高いコストをかけて取材して執筆・校閲した記事をタダで使っていることに対して抗議しています。
生成AIに対する逆風が吹き荒れています。
知的財産のなかでは特に著作権が議論の的になっており、機械学習の段階と、利用の段階にわけて議論されています。
機械学習の段階については、国内外の著作権法では、AIの学習データとして著作物を読み込むことは可としていることが多いといえます。けれどもネット上にあるコンテンツを収集すると、海賊版等の著作権上の問題のある違法コンテンツまで収集してしまい、それをもとに生成AIをつくることがあります。
またクリエイターからすると、自分たちの作品が勝手に学習に使われることに対して大きな根強い抵抗感があります。せめて自分の作品を学習データに使ってほしくない人には拒否できるようにすべきでしょう。
利用の段階では、生成AIを使ってコンテンツを作ったら別の人の著作物とあまりにも似てしまって、知らないうちに権利侵害を起こしてしまうことがあります。
著作物の類似性があるとするなら、依拠性があるかどうかが著作権侵害の有無を判断するうえでポイントになります。
AIの内部では学習データそのものではなくそこから特徴量をつかんだパラメータに変換されているとはいえ、対象となる著作物が学習データに含まれているなら依拠性がないとはいい切れないのではないかと思います。
*3 鈴木聖子(2023)「AIに?役?を奪われる」『ITmedia』(2024年5月31日アクセス)
著作物の侵害とは別に、生成AIが作った生成物に著作権を与えるか否かも大きなテーマです。2024年時点では、かなり複雑なプロンプトを書いたとしても生成物は著作物として認められていません。
生成物の利用の可否は、生成AIの提供元によって契約で決められています。ただし著作権がなく、また利用者が好きにできるのであれば、著作権のない生成物がネットにあふれることとなり、クリエイターの経済的困窮につながってしまうでしょう。
くわえてAI生成物に著作権が認められないのであれば、AI生成物であることをあえていわないケースが増えてくると想定されます。というのは生成AIを使ったといわなければ、かなり強い権利である著作権を主張できてしまうからです。僭称の問題です。
著作権だけではありません。大学などではアイデアなどの剽窃をしないように厳しくいわれます。文芸や学術、美術、音楽の分野では、頭のなかにあるアイデア自体は、まだ表現になっていないので著作権では守られません。
作風や画風でも同じです。著作権では守られません。著作権上の問題がないようにAI生成物に変更をくわえたとしても、元の作品のプロットとまったく同じであったり、いっている内容がまったく同じだったりするとしましょう。そうしたときに、本当に自分の表現としてそのまま利用してもよいのでしょうか。
生成AIは、アイデア出しに使えるといわれることがありますが、出力されるアイデアは、技術的にいって別の表現物に多少なりとも埋め込まれているアイデアなのです。
研究の分野では、別の研究者が行った独自性のある概念や理論、分析方法については、たとえ引用しなくとも参照を入れることとなっています。
たとえばすでにほかの人によって行なわれている研究を、自分自身の研究であるかのように自分の言葉ですべて書き直したとします。著作権上の問題はありませんが、研究の分野では糾弾されます。
もしかすると、すでによく知られた研究を知らずに本当に自分で考えたのかもしれません。ただその場合でも、勉強不足を指摘されるだけでしょう。21世紀であるにもかかわらず自分で地動説を思いついたように述べた研究を考えればよいかと思います。
テキスト生成AIは、3点ほどの参照元を示すサービスがありますが、画像や動画でも同じように参照を入れるようにすべきではないでしょうか。