〈阪神・岡田彰布監督が突然の退任〉歴代最多勝監督はなぜ、去るのか?その舞台裏と後任への思い

2024.10.08 Wedge ONLINE

 プロ野球、阪神タイガースの岡田彰布監督が今季限りでの退任を選手たちに伝えた。阪神の粟井一夫・球団社長も、岡田監督が退任し、来季はフロント入りすることを正式に発表した。

今シーズン限りの退任を決めた阪神・岡田監督。その心中は(時事)

 2度目の指揮官に復帰した昨季は自身が選手時代の1985年以来となる球団2度目の日本一へ導き、今季も球団初の連覇こそ逃したが、リーグ2位でクライマックスシリーズ(CS)進出を決めた。正攻法で勝つ「王道野球」と独特の言い回しで選手にも、コーチにも、球団に対しても厳しく直言を続けた指揮官が退任を決めた。

 球団は勇退後にポストを用意する意向だが、66歳という年齢を考えれば、監督として再びタテジマに袖を通すことはないだろう。2年契約満了という表向きの理由と同時に、複数のメディアが報じるのは、長年にわたって球団経営や監督人事を担ってきたを阪神電鉄側と、球団を傘下に持つ阪急サイドの「主導権争い」だ。

阪神と阪急の「主導権争い」

 レギュラーシーズン最終戦となった3日のDeNA戦を勝利で飾った岡田監督だが、シーズンの総括取材に応じることなく、球場を後にした。

 異例の対応に至った指揮官の心中は――。この日の朝刊では、スポーツ報知が岡田監督の退任と、後任にOBの藤川球児氏が有力だというスクープを報じられていた。球団側は表立って記事の内容を認めないものの、取材に応じた球団社長も否定はしなかった。岡田監督の今季限りでの退任はその後、スポーツ紙だけでなく、一般紙の朝日新聞などのほか、NHKなどのテレビも“後追い”で報じた。

 さらには、虎番を長く務めた記者らが取材網を駆使して「退任報道」の舞台裏を解き明かす記事も相次いだ。

 大阪スポーツ(大スポ)時代から岡田監督を取材する岩?正範記者は夕刊フジで「岡田監督『電撃勇退』の舞台裏 『千載一遇のチャンス…』阪神側への人事権の?逆?大政奉還 後任候補に藤川球児SAが急浮上」と題した記事を執筆(ウェブ版は4日にアップ)。サンケイスポーツなどで岡田監督を現役時代から取材してきた田所龍一記者も中日スポーツに「岡田監督の“交代劇”になんだか寂しい思い、阪神球団の『主導権奪回』のため? 常勝タイガースをつくるためではないの?」(ウェブ版は5日にアップ)との見出しでコラムを書いた。

 2人の記事の趣旨はほぼ相違がなく、岡田監督の退任に影響したのは、球団経営を担う阪神電鉄側と、球団や電鉄を傘下に持つ阪急阪神ホールディングス(HD)の「主導権争い」だという。

 関西の大手私鉄だった阪急と阪神の経営統合は、2006年に遡る。前年9月の村上ファンドによる阪神電鉄の大量保有報告書で、同ファンドが阪神電鉄の筆頭株主に躍り出たことが判明。同ファンドはその後も保有株を増やして影響力を高めると、子会社である球団の株式上場などを電鉄側に迫った。

 03年にチームを18年ぶりのリーグ優勝へ導いた星野仙一シニア・ディレクターが、村上ファンドに批判的な態度を見せ、ファンも猛反発。阪急が救済する形で傘下に収めた。一方、阪急サイドは、阪神電鉄やファンの思いをくみ取り、球団経営は阪神側に委ねる姿勢を取ってきた。

 事態が動いたのが2年前だ。当時の矢野燿大監督が開幕前に22年シーズン限りでの退任を表明し、翌年の監督交代は必至の状態となった。阪神側は2軍監督だった平田勝男・現ヘッドコーチの昇格でまとまったが、阪急阪神HDの角和夫会長が受け入れず、岡田氏を推した。

「勝てる監督」岡田彰布が見せたもの

 岡田氏は04年から08年まで阪神で監督を務め、05年にリーグ優勝を達成。その後はオリックスの監督を経た後、評論家としてチームを見つめてきた。常に現場意識を失わず、戦況を見極める眼力や選手起用についても歯に衣着せぬ語り口で持論を展開し、角会長には「勝てる監督」として魅力的に映った。その結果の監督復帰と2年契約だった。