【ロシアでも視聴者数の多いBBC】なぜ、“世界最強の放送局”を続けられるのか?躍進の光と影 『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(小林恭子著)

2024.09.24 Wedge ONLINE

 以前英国に住んだ時の貴重な体験の一つが、公共放送BBCの番組をリアルタイムで視聴できたことである。ニュース報道はもちろん、ドラマ、音楽、コメディ、バラエティにいたるまで、実に幅広い分野で良質な番組を提供していた。

(VV Shots/gettyimages)

 英国には民放もあり、個性的で面白い番組を放送しているが、やはりBBCにはかなわない。今は日本でも衛星放送などを通じてBBCの番組を視聴することができる。本書『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(小林恭子著、光文社新書)は在英ジャーナリストがBBCの全体像をその歴史とともに紹介・分析した。

第二次世界大戦時には情報統制を経験

 BBCは1922年に発足し、2022年に開局100周年を迎えた。1922年といえば日本ではまだ大正時代である。最初は民間会社からのスタートで、ラジオ放送のみだった。その後公共放送に組織替えされ、1936年にはテレビ放送も始まり、英国の放送界をリードする存在になる。

 本書で記される第二次世界大戦開戦前後のBBCの動きは興味深い。ラジオ放送は大衆への呼びかけという意味で大きな力を持っており、敵国も放送を聞くことができる環境にある中で、英国が属する連合国が勝利するよう政府と協力しながら放送を続けた場面などは、当時のBBCの置かれた複雑な立場を示している。そうした中でも正確な情報を伝え信頼を得てきたという点では、同様に戦時中に統制された日本の放送局の状況とは異なっている。

 開戦後、情報省の管理下に入ったBBCは、政府による「検閲済」のスタンプが押された台本通りの放送が義務化された。出演者が台本から逸脱していないかどうかを決める「スイッチ検閲者」がスタジオに陣取り、場合によってはマイクの音量を調整するか、あるいは進行を止めることができるように調整された。
 

 戦時中の特殊な環境であるとはいえ、放送局が政府の管理下に置かれていたという点は、英国にもそうした時代があったという意味で印象的である。ドイツとの情報戦の中で放送を届けるだけでなく、敵の情報を傍受する活動にもBBCが関わっていた。

「鉄の女」との闘い

 第二次世界大戦が終わるとBBCを取り巻く風景が大きく変わってくる。本書を読み進めると、戦後はBBCの成長と躍進の時代だったことがわかる。

 ラジオが普及し、1953年のエリザベス女王の戴冠式にあわせてテレビが売れて国民に身近なものになり、民放の放送も始まった。貿易が活発化したことで大量消費の時代を迎え、若者パワーが拡大したこともBBCの成長を促した。音楽番組などにも注力し、ビートルズやローリング・ストーンズなどのロックバンドが世界的なスターに成長していったほか、コメディ番組なども人気を博した。

  しかし組織が大きくなるにつれて難しい問題も生じてくる。放送局員のスト、政権との対立などである。その顕著な例は「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャー首相との対立だった。

 自由市場主義を信奉したサッチャーにとってBBCは、教会、大学、官僚制、国営の国民医療サービス(NHS)などとともに、消費者主権の原則を理解できない過去の遺物だった。サッチャーはBBCの放送受信料を強制的な税金と変わらないと見做し、これによって「肥大化した」BBCは、非効率で自己満足的な公共サービスの最たるものと捉えていた。
 

 多くの改革を断行したサッチャーにしてみれば、BBCはまさに自らの改革の対象であるという意識が抜けなかったのだろう。さらに1982年に起きたフォークランド紛争の報道ぶりをめぐってサッチャー政権との対立が決定的になっていく様子も描かれる。