「スワローズらしい良い文化を継承し、明るい素晴らしいチームを作っていかなくてはならない」――就任会見でそう語った、東京ヤクルトスワローズ高津臣吾1軍監督。昨季、2軍監督という立場からチームを支えてきた高津監督は、思わぬ事態に見舞われたこの2020シーズン、1軍監督としてどのようなビジョンでリーグ制覇を目指していくのか。本連載では、今年もインタビュアーに長谷川晶一氏を迎え、高津監督の野球論を余すところなくお届けしていく。
(インタビュアー:長谷川晶一)
――7月12日の巨人戦に勝利して単独首位となるなど、快調なスタートダッシュとともに夏場を迎えました。今回は、高津監督に多大な影響を与えた「師・野村克也」について伺いたいと思います。野村さんの訃報はいつ、どのように知ったのですか?
高津 お亡くなりになった2月11日の朝5時とか、6時くらいに(野村)克則(現・東北楽天ゴールデンイーグルス一軍作戦コーチ)からのLINEで知りました。「先にお知らせしますが、今朝亡くなりました」という内容で、それですぐに目覚めました。
――最後に野村さんと直接会われたのは1月のOB会ですか?
高津 そうですね。その前に監督就任が決まった後、去年の12月に一度、ご自宅にお伺いさせていただいてお話をしました。12月、1月と続けてお会いして、2月に亡くなられました。まったく予期していなかったので、本当にショックでした。
――このとき、チームは沖縄キャンプの真っ最中でした。すぐに上京されたんですか?
高津 はい、すぐに東京に戻って監督にお会いしました。東京に戻る間に、気持ちの整理をつけていたので、最期のお姿を見たときには冷静な気持ちでお会いできました。監督はヤクルトのユニフォームを着ていらっしゃいました。失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、ただお写真を見るのではなく、実際に監督の最期にお会いできてよかったという思いもありました。
――昨年のご自宅訪問では、どのような話をされたのですか?
高津 ここ数年は、いつも同じやり取りなんですが、最初は「お前を抑えにしてすまなかったな」から始まり、僕が「いえいえ、とても感謝しています」と返します(笑)。それからは、「お前が監督になるなんて、他に人がいないのか?」と言われたので、「いないみたいです」と答えました(笑)。でも、その後には監督としての心構えをお話しくださいました。「最下位なんだから気楽にやれよ」とか、「弱いチームを強くしていくのは、とてもエネルギーのいることだけど、すごく楽しいぞ」だとか、そういうお話でした。
――野村さんご自身の実体験に基づく言葉だから説得力がありますね。
高津 そうですね。監督はいつも、ハッキリと“頑張れ!”とか、“応援しているぞ”とか言わないんです。でも、その言葉には必ず何かヒントがある。それが、野村監督の激励の仕方なんです。最後の最後に、野村監督らしい激励の言葉をいただけたのは嬉しかったです。