巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
チューダー王朝(1485~1603年)の国王は、豪華な食事を好んだ。特に、肉は毎日のように供された。国王の分だけならともかく、それに仕える廷臣(てい しん)や使用人およそ1000人の分まで調理せねばならぬから、厨房は毎日戦場のようであったことだろう。ハンプトン・コート宮殿では調理スタッフが200人いたというから、単純に考えて宮殿の中の5人に1人が厨房関係者ということになる。
現代では、厨房において料理長から見習いまで厳然たるヒエラルキーが存在する。ハンプトン・コート宮殿においてもそれは同じことであり、最下層に属する人々は『焼き串少年』と呼ばれた。彼らは文字通り少年だったわけではない。どうやら、ほかの料理人たちから侮蔑されていたニュアンスがあるようだ。
彼らの仕事は、巨大な炉の前で肉が刺さった串をぐるぐると回すこと。これだけだった。しかし、炉と串の規模が大問題であった。串は直径2センチ、長さ3メートルほどもあり、もはや串と呼んでいい類のものではなかった。それに生肉を刺せるだけ刺すと、重量は600キロ近くにもなった。
これを焦がさないように回すのは重労働である。しかも、目の前では業火が燃え盛っているわけだから、熱いに決まっている。食事は毎日のことなので、焼き串少年はくる日もくる日もこの業火と対面していたことになる。しかし、カトリックでは復活祭の前の40日間と、毎週金曜日は肉を断っていたのでなんとか休みは取れたようだ。収入は農夫の約4倍あったというが、「串うち3年裂き8年、焼きは一生」なる日本のウナギ屋の格言に対し、焼き串少年のように焼き“だけ”一生というのはさすがにつらいものがある。
(illustration:斉藤剛史)