巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
中世ヨーロッパの石造建築にとって、クレーンの存在は欠くべからざるものであった。現代でも、建築中のビルの屋上には鉄骨を吊り上げるクレーンがあるが、城や聖堂などの建築現場においてもそれは同じであった。といっても、その構造と性能は現代のものと比べるべくもなかった。なにせ、動力は人力だったのだから。中世のクレーンは木製で、綱を少しずつ巻き上げて建材を持ち上げた。綱の根元にはハムスターが走って遊ぶような踏み車があったが、そのサイズは人間ふたりが入れるほど大きなものだった。
『踏み車漕ぎ』と呼ばれた動力源の人夫には、積極的に盲目の人物が採用された。目の見える者では高所で恐がってしまい、使いものにならない場合があったからだ。確かに、いつ抜け落ちてしまうかも知れぬ踏み車の足板と、その隙間から見える地上の風景を眺めるのは恐い。だが、「目が見えなきゃ大丈夫なんじゃね?」という理論はひどく乱暴なものである。むしろ、見えないほうがもっと怖いのではないだろうか。日本の船乗りたちは「板子一枚下は地獄」といって自らのリスクを形容したが、地上にあっても同じ状況が起こっていたのである。
これだけ危険な業務をこなしても、支払われる賃金は少なかった。せめて高所作業手当てくらいつけてもらいたいところなのに、暑かろうが寒かろうが賃金は同じであった。しかし、彼らには滑車をダッシュで逆回転させて、巨石を現場監督の上に落とす最終奥義が残されていたことを、ひそかに心に留めておきたい。
(illustration:斉藤剛史)