巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
中世の西洋医学において、蛭(ひる)は瀉血(しゃけつ)治療を行なうために不可欠なものであった。しかし、新鮮な蛭は買いだめしておけるものではない。そのつど、『蛭採取人』から買い取っていたのだ。かつてのブリテン島には湿地帯のいたるところに蛭が生息していたため、採取するのは容易であった。しかし、その方法が壮絶の一語に尽きた。
やり方は単純明快である。ズボンやスカートの裾をめくり上げ、沼地に入り込むのだ。しばらく水の中を歩き回っていると、蛭がエサの存在を察知して寄ってくる。あとは、生足に蛭がびっしりと喰いつくまで待てばいい。あたかも釣り人がフィッシュオンを待つがごときこの時間が、蛭採取人にとっては長くやりきれない時間であった。
問題はこれからだ。蛭たちが満腹になって、自然に落ちるまで耐えなければならない。本来、蛭に噛みつかれた場合はたばこやライターの火をあてて離れさせるが、それをやってしまっては売り物にならない。大量の蛭に血を吸われていくのを実感しながら、我慢するしかないのだ。
蛭が足から落ちると、その噛み跡からは血が流れ続ける。蛭の唾液の中に血液の凝固を阻害する成分が含まれているためだ。すぐに搾り出すのが最善策なのだが、蛭採取人たちは蛭の唾液成分など知る由もない。ひとつの噛み跡につき約150ミリリットルの血が、ただ成すがまま垂れ流れていたのであった。当然、何度もこの採取方法を繰り返せば貧血になってしまうが、それをやめられるほど彼らは裕福ではなかった。
現代においても売血が行なわれている国は存在するが、瀟洒(しょうしゃ)な紳士が血を売りに来たという話はついぞ聞いたことがない。古今問わず、血でお金を稼ぐことがつらいのに変わりはないのだ。
(illustration:斉藤剛史)