巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
9世紀後半、ウェセックス王国では貨幣の鋳造(ちゅうぞう)が活発になっていた。それまでの戦乱の時代では、貨幣が意味をなさず物々交換によって経済が成り立っていたからだ。
交易が活発になってくると、いよいよ国営の設備だけでは貨幣の生産がまかないきれなくなった。そこで王は特定の業者に鋳造権と貨幣の鋳型(いがた)、打ち型を貸し出して大量生産の体制を整えた。今風に言えば、造幣局の業務を民間に委託したようなものである。この業者の元で働いていたのが『コイン奴隷』たちだ。名前の通り奴隷の仕事だったわけだが、果たしてどのような業務だったのであろうか。
彼らの仕事はまず、貨幣の元となる銀塊を平らにするところから始まる。熱した銀塊に尿をかけてミネラル分で急速冷却させ、ハンマーで適度な薄さにまで伸ばすのだ。辺りにほかほかおしっこの悪臭が充満したであろうことは容易に想像できる。そこからコイン大のサイズに銀をくり抜き、上下に打ち型を挟んでハンマーで刻印するわけである。これで銀貨の完成だ。
だが、これだけで奴隷と呼ぶにはまだ甘い。職務条件が異常なまでに厳しいのだ。彼らは、銀貨をこっそり盗んだり、銀の破片を隠し持っていたりしたことがバレるとどういうわけか去勢されてしまった。なぜに去勢なのかは大いなる謎だが、とにかく盗む気がおきなくなるのは間違いない。冤罪である場合は裁判に訴えることができるが、高熱の鉄に手を当てて「この手は罪を犯していません」と神に証明しなければならなかった。古代の日本にも、容疑者の手を熱湯に入れさせて無事なら無罪、やけどしたら有罪という“盟神探湯(くかたち)”なる神前裁判があったが、いずれとも神のご加護は望むべくもなかったであろう。
(illustration:斉藤剛史)