巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
古来より、石炭は人類の営みに密着した燃料として使われていた。蒸気機関が発明されて以降は、産業分野において一層不可分のものとなった。その消費量は、ロンドンだけで1年に約350万トンにも達したという。それだけの石炭を燃やせば、当然膨大な灰が残る。全てを処理するには、専門のゴミ処理人が必要だった。『ダストマン』の出番である。
ダストマンは灰をかき出す者と、それを荷馬車に運ぶ者がペアで行動した。市街を荷馬車で流しながら、自らがやって来たことを知らせる「ダスト、オーイェ!」の掛け声を発した。かなりノリノリである。お声が掛かるとさっそく灰の運び出し作業に取り掛かるが、灰の扱いはあまり乱雑に行なってはならない。粒状の灰は肥料として、大きめの灰はレンガの材料として売ることができたからだ。荷馬車と依頼者宅の間を何度も往復すると通りに少なからず灰がこぼれてしまう。ゆえに、作業完了の翌日に再度やって来て、通りをきれいに掃除するのであった。「来た時よりも美しく」のジャンボリー精神である。
この職業は、世襲が一般的だった。日常に密着した仕事でお得意さんが多かったろうから、世襲で顧客を引き継ぐのは至極合理的と言えた。ダストマンの息子たちは、働く父の背中を見ながらこの仕事に誇りを持つわけである。ひょっとしたら、思春期の息子が「掛け声が恥ずかしいからやだ」とか「幸楽を継がずに就職したい」とか言って、角野卓造(かどのたくぞう)似の親父にぶん殴られたりしたのかも知れぬ。
(illustration:斉藤剛史)