巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
救貧院の仕事には、老人や女性でもこなせる仕事が用意されていた。というわけで、救貧院ジョブシリーズ第3弾『槙皮(まいはだ)作り』である。槙皮とは、檜(ひのき)や槙(まき)の樹皮の内側を砕いて、繊維状にしたもののこと。船や桶などのスキ間に詰め込む防水材として使われた。救貧院では、樹皮から作ることはせずに造船所の使い古しのロープを材料にした。ロープも元々の素材は樹皮の繊維なので、ほぐせば槙皮として再利用できたのだ。
作業工程はこうだ。ロープをトンカチで叩いて柔らかくし、よじれた部分を紐状に伸ばす。それをさらに糸状になるまでほぐすのだが、繊維同士が絡み合っているので“さけるチーズ”をほぐすのとはわけが違う。最後に糸状の繊維をボール状に丸めれば、完成だ。とまあ、作業的には大したことは無かったりするのだが、ここでの肝は“造船所の”ロープという点である。海運関係の現場で使用されているロープは、滑り止めと防水のためにタールをたっぷり染み込ませてある。これが厄介だった。手に付いたタールは非常に落ちづらく、ホームセンターで売っているような専用洗剤でもないと落ちてくれない。救貧院にそんな気の利いた物があるわけないので、槙皮作りに携わる者は日常生活の全てにタールの汚れが付きまとうことになった。彼らは幼子の手を握ることや、白いシーツに触れることもためらわれたことだろう。触る物みな汚してしまう、フミヤ的状況が待っていたのだ。
救貧院が福祉施設の性格を持っていたことは確かだが、収容者が劣悪な環境に置かれていたことは疑う余地もない。“Workhouse”が救貧院の原語だが、労働というよりは苦役と呼んだほうが的確であろう。お年寄りをコキ使っちゃいけません。
(illustration:斉藤剛史)