巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
時に西暦1834年、救貧法改正条例によりイングランドとウェールズの各地に救貧院(生活保護者収容施設兼ハローワーク)なる施設が作られることになった。ここには、行き所のなくなった老若男女の貧民が暮らせる設備が整っていた。しかし、“働いたら負け”状態にならぬよう食事や生活空間の程度は低く抑えられた。ぎゅうぎゅう詰めの食堂で老人たちが食事をとる姿は、さながら刑務所のようでもあった。また、救貧院では体と精神がある程度健全な者ならば、何かしらの仕事があてがわれた。そして、これまた刑務所と見まごうような苦行が与えられるのであった。
『石割り人』は救貧院斡旋ワークのひとつで、石を細かく破砕して道路の素材を作る仕事だ。バスケットボール大の石をハンマーで叩き割り、1円玉くらいのサイズにまで小さくする。これを、日々延々と繰り返すのみである。砕いた石がある程度の量まで溜まると、監督のチェックが始まる。監督は2センチ四方ほどの穴が開いたザルを持っており、これでふるいにかけて引っかかった石は再度やり直しを命じられる。ほとんど賽の河原さながらだが、地蔵菩薩が助けに来てくれるグッドエンディングルートは存在しないのであった。
刀工は、ハンマーで鋼を叩いて“名刀”という栄誉を作り出すことができる。だが、石割り人がいくら石を砕いたところで“名石”などという栄誉を得ることはできない。そのうえ、救貧院の仕事だけに給料はあってなきが如し。なんもねぇのである。とかく貧民がのし上がるには、厳しい時代であった。
(illustration:斉藤剛史)