巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
「猫の絵を描こう~」と声を上げ、市中を歩き回った猫絵専門の画家。ネズミよけのために壁に貼って使うもので、怖ければ怖いほど効き目があるとされた。ゆえに、癒しテイストあふれるニャンコの絵を描くと、依頼主から殴られる。江戸時代の下水網は一部の都市に限定されていたから、どうしてもネズミが出ることは防げなかった。ネズミ被害は現代の東京でも後を絶たぬし、核戦争後もネズミとゴキブリは生き残る、なんて予測もあるほどだ。
ネズミが病原菌の媒介になることはもちろん、食料を食い荒らすことで特に嫌われたので、猫の絵描きは多くの人々から歓迎された。正直言って実質的な効果が見込めるわけはないのだが、人々が信心深かったせいか、とにかくこのような護符の類がよく売れた。幕末にコレラが大流行した際にも“虎狼痢(ころり)よけの護符”なるものが売れたそうだから、とにかくすがれるものなら何でもすがってみたい心境だったのだろう。
そもそも、猫の絵を飾る習慣は群馬県新田郡から発祥したものだった。養蚕(ようさん)業が盛んだったかの地では、“八方にらみの猫”と称した絵が蚕(かいこ)をネズミから防ぐお守りとしてよく使用されていた。これが江戸にも伝わり、ネズミに悩まされる一般家庭にまで浸透したというわけだ。高名な浮世絵師の歌川国芳(うたがわくによし)が描いた猫に至っては、効きっぷりがただごとではないと大評判だったそうだ。それほどの秀作ならば、ネズミよりも夜に厠(かわや)に行く子供のほうが怖がったのではなかろうか、なんて微笑ましい想像もできる。
(illustration:斉藤剛史)