巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
長崎の出島でオランダと貿易が行なわれていた事実は、現在でもよく知られているところである。取引されたのは絵画や服飾品、精密機械など様々だった。これらの品は20数種に分類され、それぞれが唐絵目利(からえめきき)、反物目利(たんものめきき)などと呼ばれる専業の商人たちによって値付けされていた。その中でも、最も多忙な立場におかれていたのが『唐物目利』であった。唐物とは舶来品の総称であり、専業化された目利の中でもかなりざっくりとした呼称だ。それもそのはず、彼らはほかの目利たちが専門外とする、“なんだかよく分からない商品”の値付けをしなければならなかったからである。
そう説明すると、南蛮渡来の珍奇なブツをなんでもかんでも押し付けられるように思えるが、実態はその逆であった。とりわけ商人として優れた鑑定眼を持つ4人が選抜され、長崎奉行によって命名されるほどの栄誉のある職だったのだ。時計などの精密機器は仕組みが分からず苦慮しただろうし、銅鏡が一般的だった日本ではガラスに錫(すず)メッキを施した西洋の鏡は珍重されたであろう。そのほか、石鹸やお菓子などとにかく雑多な品を値付けせねばならなかったから、楽ではない。
彼らには別の苦労もあった。時の長崎奉行がヨイショ野郎だった場合、珍しい輸入品を将軍やその他の権力者に横流しするよう、圧力をかけてくるのである。ただでさえ数が少ないものをあれもこれも取られては困ってしまうが、逆に言うと、唐物目利もワルだった場合は奉行と結託して好き勝手できたことになる。奉行と商人がその地位を利用して私腹を肥やす、とは絵に描いたようにアレな展開であるが、倫理的に問題なだけであって犯罪ではないのでべつに良し。いいぞもっとやれ。
(illustration:斉藤剛史)