巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
豊臣秀吉の臣下に中条帯刀(ちゅうじょうたてわき)という人物がおり、産婦人科医として名高い中条流の起源となった。江戸時代になると中条流の意味は次第に変わり、堕胎専門の産婦人科医という意味になった。避妊や妊娠のメカニズムなどほとんど認識されていないご時世である。中条のお世話になる女性はあとを絶たなかったという。
現在のように産婦人科医が堕胎を行なうのと異なり、堕胎専門医という性格上、中条を訪れるのは女性にとって気が引けることだった。だからこそ、中条は人気の少ないひっそりとした場所で開業するケースが多かった。患者同士がなるべく顔を合わせずに済むよう入り口を多数設けたりもしたそうだが、結局同じ場所に入っていくのだからあまり効果があったようには思われない。それより、少しでも入りやすい雰囲気を演出するほうに意味があったのだろう。
堕胎には“月水早流し”なる薬が使用された。これをして中条流子おろしの術と称したそうだが、いくら忍術めいたトーンで言われたところでどうにもぞっとしない。なお、これにかかる費用は千二百文(約2万4000円)とのこと。この金額すら払えぬ貧しい男女は、親に認められぬ子を腹に抱えて行き所を失い、心中に走ることもあった。こうした心中カップルが浄瑠璃などで美化され、やたらと心中が増加したことから、享保7年(1722年)に徳川吉宗が心中という言葉の使用を禁じ、代わりに“相対死に”と言うようにお触れを出したほどだ。暴走族を珍走団と呼ぶようなものだが、明るい家族計画の啓蒙には吉宗も苦労したようである。
(illustration:斉藤剛史)