巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
江戸時代でラブホテルの役割を果たしていたのが、『出合茶屋』である。建物は2階建ての数寄屋(すきや)造りが一般的で、健全交際の男女よりも不倫カップルが利用するケースが多かった。ゆえに、緊急脱出用の裏口を設けてあるのが定番であった。そういう意味では、ラブホテルではなく連れ込み宿のような淫靡(いんび)なおもむきがある。当時の不義密通はバレたら相手の夫や父親に殺されてもおかしくない重罪であった。しかし、「わかっちゃいるけどやめられない」からこそ決して廃れることはなかった。人間のリビドーは死の恐怖も克服するのである。すごいけどどうでもいい。こうした事情により、表向きは“茶屋”や“料理処”といった看板を掲げてカモフラージュされていた。利用料金は2人で一分(約2万円)で、軽い食事がついた。出合茶屋にご休憩とご宿泊の概念があったのかは不明だが、一泊してもバチは当たらぬ料金である。
出合茶屋が立ち並ぶ日本一の有名スポットが、不忍池(しのばずのいけ)であった。もともとは観光客向けのふつうの茶屋だったのがまず一軒出合茶屋に変わり、最終的にはごっそり出合茶屋に変わってしまったという顛末だ。不忍池の蓮を眺めながらのプレイというのも、けっこうオツなものである。現在でも、不忍池付近に数件のラブホテルが建っている。これに出合茶屋の名残を感じて思いを馳せるも一興だが、天保の改革(1841~1843年)で当の出合茶屋はすべて取り潰しになってしまったため、たぶん全く無関係である。
(illustration:斉藤剛史)