巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
江戸時代の初期から中期にかけて、武士、町民を問わず流行した一大ブームがあった。家系図づくりである。きっかけは3代将軍徳川家光の治世(ちせい)に編纂(へんさん)された『寛永諸家系図伝』だ。この書には日本全国の大名、旗本の家系図が網羅されており、それが武士たちの歴史ロマンを誘ったのだ。編纂元の資料は大名の自己申告だったが、この自己申告というのがくせもので、一部で虚偽の申告が行なわれた。しかし、捏造(ねつぞう)するといっても矛盾点が無いよう製作するのは至難の業である。そこで、その道の知識を備えた『系図づくり』の登場と相成ったわけだ。
頻繁に用いられた出自は、源氏&平氏&藤原氏の名門貴族ビッグ3。格が高いうえ、傍系(ぼうけい)が多いからうやむやにしやすい。単に「宅のお家柄は清和源氏(せいわげんじ)の出なンざますYO!」とか言ってみたかっただけの依頼者もいただろうが、中には「先祖が勝手に藤原氏の末裔を名乗っちゃったから、今さら違いましたじゃ済まない」なんて切実な者もいたはずだ。彼らにはつじつまの合う家系図が必要だったのである。また、武家社会自体もこのようなエクストリーム家系図づくりに寛容的であった。豊かな叙述と歴史的解釈を楽しめればよいではないか、というスタンスだったのだ。
ところが、江戸中期以降は風向きが変わってくる。家系図は事実によってのみ作られるべき、という風潮が主流になったのだ。そして、系図づくりを請け負う者は事実を妄作しているとして厳しく非難された。この頃には武士のブームが町人らにも伝播していたが、彼らにとって整合性はさしたる関心事ではなかった。ゆえに、以後も夢のある家系図が人々の歴史的探究心と、ほんの少しの虚栄心を満たし続けることとなった。
(illustration:斉藤剛史)