巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
ももんじとは獣肉をさす語で、猪や鹿、狐(きつね)、狸(たぬき)などを食べさせる店のことを『ももんじ屋』といった。天保3年(1832年)には江戸市中に数え切れないほどのももんじ屋があったとされているが、仏教的観念によって肉食禁忌が浸透していたにもかかわらず、なぜこのような店が繁盛したのだろうか。
その答えは、彦根藩が献上し、将軍が食していた“ご養生肉”にある。ご大層な名前だが、これは現在でも滋賀県の特産品として売られている近江牛の味噌漬けである。おおっぴらに肉を食べるわけにはいかないので、“薬食い”と称してあくまで健康のためという理由で食べていたのだ。徳川慶喜などは豚肉好きが評判になるほどだったというから、民衆もこの解釈に乗っかって美味しい薬を頂戴することができたわけだ。もし建前どおり療養のための食品だったのなら、江戸は病人だらけだったということになってしまうだろう。現在でも「胃をアルコールで洗浄する」などと称して酒を飲み、かみさんにばれてマウントでボコ殴りにされたあげく頚椎(けいつい)を骨折する主人が後を絶たぬが、薬食いも同類の論理と言えよう。
かように後ろめたい食材であったから、ももんじ屋では猪の肉を“山くじら”、鹿の肉を“もみじ”とスラングで呼んでいた。それに葱を加えて鍋で煮込み、臭みを消すという調理法が一般的だった。だが、明治になるとクセがなく食べやすい牛鍋のほうが人気となり、明治11年(1878年)には最後のももんじ屋も閉店してしまったという。文明開化によって、民衆は後ろめたく獣肉を食べる薬食いというスパイスを失ってしまったのである。
(illustration:斉藤剛史)