巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
長い伝統と栄光で知られる英国海軍だが、その底辺を6歳以下の少年たちが担っていたことはほとんど知られていない。少年たちは『火薬小僧』と呼ばれていた。軍艦砲手のお手伝いとして、火薬を運搬していたのだ。火薬を大砲の近くにまとめておくことは自殺行為も同然である。つまりは、それだけ火薬小僧が働く機会が多くなったということだ。
当時の軍艦には、側面に大砲をずらりと並べる砲列甲板(ほうれつかんぱん)というものがあった。そして、砲列甲板は海に浮かんだ時に海水をかぶらぬよう、船の中心から上部にかけて設けられていた。逆に、火薬庫は安全を考えて船の奥のほうにあった。この距離を幾度となく往復するのは、子供ならずとも足のすくむ作業である。激戦のさなかでは、吹っ飛んだ肉片と、血まみれになって「死にたくねェよぉぉぉ」とか言ってうめく海兵がそこらじゅうに転がっているわけだから。幼稚園に通うような年頃の少年にこのような死地を与えるとは……英国海軍恐るべしである。軍艦の大砲は50門から100門以上あったわけなので、少しでも小回りの利く子供が重宝されたのだろうが。
当時の軍艦の火薬庫は、湿気と火花を防止するために銅板で囲まれていた。ここまで辿り着いた火薬小僧は、担当のおっさんから火薬を受け取るのである。この際、火薬庫付近に着弾&誘爆したら無論即死なわけだが、苦しまず、恐怖を感じる暇もなく死ねるのはある意味幸せかも知れない。火薬を抱えて砲列甲板に戻るまでが最も危険な時間だが、考えてどうこうなるものではない。ダッシュで戻るのみ、である。こうして砲手に火薬を渡せばめでたく任務完了。これが英国海軍における“はじめてのおつかい”なのであった。
(illustration:斉藤剛史)