巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
江戸の人々はキセルで煙草を嗜(たしな)むことを好んだが、キセルというものはずっと使い続けているとメンテナンスが必要となる。煙草を詰める雁首(がんくび)と吸い口をつなぐ、竹の部分だ。ヤニが詰まってきたり、竹がひび割れて吸いづらくなってきたりするのである。この部分にはたびたびラオス産の竹が使用されたことから、“らう”もしくは“らお”と呼ばれた。その羅宇を交換して回った行商人が、『羅宇すげかえ』である。
この職業が登場したのは安永(1772~1781年)の頃。当時はものめずらしい商売に見えたようで、人の家に上がり込んではなにやら長時間やっている、ということで町人たちから「隠密(おんみつ)ではないか」と噂が立てられたこともあった。かなり短絡的である。妻の立場にしてみれば、主人が隠密呼ばわりされるのはたまったものではない。だが、いつもは冴えない亭主が実は幕府の隠密、なんて設定はベタなアクション映画っぽくてちょっとスリリングである。夜のキセルを吸うにもついつい熱が入るというものだ。
仕事道具を肩や背中に担ぐ羅宇すげかえのスタイルはしばらく不変であった。しかし、蒸気機関が普及し始めるとヤニ取りの方法が炭火によるスチームへと進化し、小型ボイラーを搭載した小さな台車を引くようになっていった。街々を歩きながらピーッと汽笛を鳴らすと、それが呼び声の代わりを果たしたのである。この頃にはさすがに“隠密疑惑”をかけられることも無くなっていたが、もしそんな仕事をやるとしたら、こうして街の風景の一部になった頃がもっとも仕事しやすかったことだろう。その頃には隠密が仕えるべき幕府は無くなっていたのだが。
(illustration:斉藤剛史)