巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
宝暦・明和(1751~1772年)の頃に見られた、仏教の行者。弁天堂建立のための寄付箱を背負って、江戸市中を渡り歩いた。頭にかぶった菅笠(すげがさ)に大きく“そそそ”と書かれていたのが、そのまま職業名として語り継がれている。ちなみに、3つの“そ”とは「その身、そのまま、その時」の略。仏教的な意味合いを含んでいるのか、深遠過ぎてさっぱりわからない。けれど、ビジュアル的におもしろいので良し。
あんず飴大の鈴を5つほど持ち、その音につられて子供たちが集まってくると、鈴を貸し与えた。そして、鈴の音色とともに弁天経を口写しで暗唱させたという。実はこの暗唱というのがポイント。子供たちが自宅に帰ったあともガンギマりで弁天経を唱え続ければ、ご両親もいつしか信心に目覚めて「それじゃ、寄付しちゃおうかしら」となるワケだ。これは、かなり遠大な計画と言えよう。そもそも、子供が両親の前で唱えてくれなければ成り立たないのだから。それとも、ラップ調の抑揚で、ついつい唱えちゃう感じだったのだろうか。「弁天経ディスってんじゃねーぞコラ!」みたいな。それにしても江戸時代の子供、ホイホイ釣られすぎである。どんだけヒマなんだお前ら。
現代においても托鉢僧(たくはつそう)の姿をまま見かけることがあるが、彼ら自らが市中を歩き回って子供たちを媒介に布教する、ということはない。そそそのようなお坊さんがいたら、大層目を引くことだろう。このご時勢、うっかり官憲に通報されかねない恐れもあるが。
(illustration:斉藤剛史)