普段の生活の中で、他人の細かいことが気になってしまうことはないでしょうか。例えば、その人の仕草、口調、立ち振る舞い、態度、言動、癖など、ちょっとしたことなのに、なぜか気になってしまう。結果、そのことにしか目が向かなくなり、イライラしてしまったり、気分を害してしまうなんてことはないでしょうか。
特にその人には悪気があるわけでもないのに、こちらで勝手に独り相撲をして、疲れてしまう。そのように自分の首を自分で絞めている方もおられると思います。
できるならば気にしたくないけれども、どうにもならない場合はどうすればよいのでしょうか。
まず前提として、他人のことが気になってしまうことは、仕方のないことです。このことで周囲に迷惑を掛けているわけではないのですから、特に問題視したり、自分を責めたりする必要はないということを認識して下さい。
しかし、他人の細かいことが気になることで、自分の心がかき回されたり、それで気分を害してしまう状態をどうにかしたいという場合、非常に単純ではありますが、簡単な解決方法があります。
それは、他人の細かいことが見えない場所へ自ら移動することです。ただその場を離れればよいのです。相手は、自分のせいで周囲の人が不快な思いをしているなんて、これっぽっちも思ってもいません。なぜならば、それが本人にとってごく自然な姿だからです。
したがって、勝手に他人の仕草や言動で心情をザワつかせているこちらが気にしなくてもよくなるように、身を移すしかないのです。身体を移動させるというちょっとした動作は必要になりますが、これが一番簡単な解決方法です。なぜわざわざ自ら動かなければならないのか不服に思う方もおられるでしょうが、そのときは「勝手に独り相撲しているのは自分だ」と思うようにして下さい。そうすれば、これくらいのことは仕方ないと納得できることでしょう。
そのうえで、考えてみて欲しいことが一つあります。
それは、「なぜ他人の細かいことが気になってしまうのか」ということです。
他人のことが気になってしまう場面では、その理由を考えることはなかなかできません。理屈よりも、感覚的な場合が多いので、とにかく気になって、イライラしたり、心情が先行するもので、その原因を冷静に考えることはできないでしょう。
また、一旦気持ちが落ち着いてしまえば、わざわざそのときのことを思い返して理由を考えることは滅多にないと思います。
だからこそ、冷静になったときに、あえて考えてみる必要があるのです。これは今後の心地よい過ごし方にも影響する大切なステップです。
仏教には「良医の病を知って薬を説くが如し」と言葉があります。
これは、「お釈迦さまは、名医が病気に適切な薬を与えるように、人々の心の病に応じて適切な説法をする」ということを意味し、「応病与薬」(病に応じて薬を与える)とも言われます。
原因がわかれば、その対処法が見つかり、問題の解決に導くことができるということです。
当然のことのように思えますが、つい忘れてしまいがちなプロセスではありませんか?
その結果、適切な薬という名の対処法が見つけられず、繰り返し同じ問題に悩まされてしまうのです。