半年前に転職しキャリアアップはしたものの、正直新しい職場の仕事の進め方や意思決定のブレなどに、非効率的なものを強く感じます。新参者としては現状の会社のやり方に従う形で毎日を送っています。しかし「もっとこうすれば、こういう部分が改善されるのに」といった思いも具体的にいくつもあります。思い切ってその根拠などを説明し、上司に相談した方がいいのでしょうか? それとも「郷に入らば郷に従え」という考え方で、私が今の職場のやり方にアジャストした方がいいのでしょうか? 明らかに仕事が効率的になる改善策は自分の中にあり、提案すべきかどうか迷っています。
アパレル関係勤務(企画職) / 35歳 / 女性
半年前に転職され、キャリアアップされたとのこと。おめでとうございます! きっと新たな気持ちでイキイキと目標に向かって仕事に取り組まれていると思ったのですが、そうでもないようですね(笑)
あなたのお悩みから、あなたの仕事に対する情熱が覗えます。むしろ、情熱ややる気が溢れ出ているからこそ、そこに生まれもどかしさだと思います。きっとイライラやストレスを感じてらっしゃることでしょう。ですが、少しだけ私のお話を聞いてみてください。
実は、私も同じような体験をしたことがあるので、あなたの悩みがとてもよくわかります。私の場合は、やる気マンマンで入社した初めての職場での出来事でした。
さあ、これまで勉強した経験を活かして仕事しようと没頭しようと思っていましたが、どうも同僚の仕事のスピードや職場の方向性に自分とのズレを感じ、もどかしさを感じるようになりました。アメリカ帰りで(笑)若かった私は、躊躇なくまさにあなたが思っている「もっとこうすれば、こういう部分が改善されるのに」という思いを感情とともにぶつけました。その結果、100倍返しをくらいました(笑)。
しかし誤解しないで頂きたいのは、その100倍返しは怒られたとか、そういったものではなく、自分の愚かさが露呈され、反省させられたという意味の100倍返しです。心優しい上司や同僚は、丁寧に2つのことを教えてくれました。
1つは、私が指摘した問題というのは、ずっと以前から職場全体で検討されていたことで、きちんと話合った結果、現状のような仕事のやり方や方針に落ち着いているということ。もう1つは、目にはっきり見えるものではありませんが、人はそれぞれの立場や状況を踏まえ、周囲との仕事のバランスを考えているということです。
私は、自分がどれだけ浅はかだったか思い知らされました。落ち着いて考えてみれば、私が指摘するようなことなど、先輩として働いている方々が問題視しないはずがないのです。自分だけが苦労している、自分だけが正しいと自分中心の感情に飲み込まれ、きちんとした理由を聞くという、ごくごく単純な過程を忘れていたのです。
仏教ではこのような私の姿を「無明(むみょう)」といい、「自分が正しい、一番だという自己中心の欲望に囚われ、真実を知らない愚かな姿」を意味します。私はこの自分の姿を恥ずかしく思うとともに、上司や同僚の優しさに申し訳なさで一杯になりました。
おそらくですが、あなたがこの半年の間で気づかれたことは、だいたい同僚の皆さんもすでに気づいておられたと思います。まず、その現状のあり方の理由を聞いてみてはいかがでしょうか。
もし、それでも納得いかない場合は、効率的になる改善策を提案されてもいいと思います。しかし、それが本当に適切なことであっても、優しさがなければ人は傷つきます。くれぐれも、人に対して優しい伝え方を大事にされて下さいね。
協力:寺子屋ブッダ