先日、実家の近所に住むある家庭のお母さんが、高校生の男の子を連れて私の家にやって来ました。この二人が私の実家を訪問する一週間前、突然そのお母さんから連絡があり、高校二年生になる息子さんの英語の試験勉強をみてやって欲しいという依頼を受けたのです。話によると、英語の試験で赤点が続き、進級が危ういと学校側から告げられ、なんとか息子さんを助けてもらえないかということでした。
私はかつて数年間アメリカに留学した経験があり、また仕事でも英語を使っているということもあって、この背景を知っていたお母さんが連絡してこられたのです。私は、人に英語を教えた経験などなく、ましてやそんな責任の重いご依頼を引き受けるべきか迷いましたが、お母さんの切羽詰まった懇願を断ることはできず、二時間だけ家庭教師をすることにしました。
当日、約束の時間になるとお母さんと緊張気味な息子さんが来られました。客間に通し、挨拶を済ませ、簡単なカウンセリングをしました。お母さんからのお願いは、とにかく次の期末テストで赤点をとらないように指導して欲しいということだったので、まずテストの範囲を確認し、どのような方法で教えるか筋道を立てました。
そして、テスト範囲の教科書を読んだり、文法や単語を確認したりしていると、あっという間に二時間が過ぎました。私自身、他人に英語を教えるのは初めての経験だったので、ある意味、私の方が息子さん以上に勉強になった気がしました。そして、このとき私は二つのことを学びました。
一つは、今だからこそ分かる「テストを作成する英語の先生の心理」です。教科書を読み、そのページで注目される文法を確認すると、出題する問題の傾向などが不思議と分かってしまうのです。試しに、息子さんに「学校の先生はこの部分を強調して教えなかった?」と尋ねると、そうだったと答えます。そこで、私はテストの出題が予想される箇所をすべて教えました。私自身この視点をもっと早く手に入れていれば、私も学生時代に苦労せずに英語のテストで高得点が獲れたのにと、おしい思いをしました。しかし、新鮮な感覚でした。
もう一つは、自分自身を振り返ることの大切さです。私は、必死に勉強する息子さんの姿に、昔の自分の姿を重ね、いろいろなことを思い出しました。実は、私は今でこそ仕事で英語を使わない日はないような生活をし、今回のように他人に英語を教えることができますが、もともと英語が得意だったわけではありません。英語という科目は好きでしたが、その気持ちと英語の勉強の実力は比例しないものでした。学生時代、記憶することが苦手な私は、分からない単語を覚えるまで何度も雑記帳に書き続け、牛歩の速度で勉強を進めていたときのことを懐かしく思います。
彼のひたむきな姿に、そんな昔の自分を思い出し、勉強が終わった後、お茶を飲んでいたのですが、気が付いたら過去の自分の話を息子さんにしていました。どれだけ英語の勉強をしても、なかなか成果が出ずに苦しかったこと、英語を学んでよかったこと、最後には私の高校生時代のことなど、赤裸々に語りました。すると、息子さんはそれまではどちらかというと顔を下に向け、私とは目を合わせない姿勢だったのですが、気が付くと私の目をしっかりと見るように顔を上げていました。
最後に「英語の勉強を頑張ります。もっと早く話を聞けたらよかったです」という感想を述べてくれました。そして、教えた勉強方法を毎日することを約束し、お母さんと帰宅されました。