自慢ではありませんが、私はよく体調を崩します。周りの人や同僚から健康な状態の私を見ることは稀(まれ)だとまで言われてしまうくらいです。私自身は普通のつもりなのですが、どうも顔色が悪かったり、げっそりして見えることがあるようなのです。しかし、思い当たる節がないわけではありません。おそらく、その大きな理由の一つに、仕事や家業の事情で長距離の移動が多く、身体に負担がかかってしまうことが挙げられます。そして、その根底にはブレーキを踏むということを知らず、ついつい無理をしてしまう私のスケジュール管理能力のなさに原因があるのだと思います。
その結果、体調を崩し寝込んでは、家族に心配を掛けてしまいます。そして、毎回家族からちょっとしたお叱りを受けるというサイクルを繰り返しています。自分の学習能力の低さに悲しくなってしまいますが、つい無理をしてしまうのです。
しかし、体調が回復していつも思うことが、「健康」の有り難さです。体調がいいと身体も軽く、気分も爽快です。これは誰もが認める当然のことだと思います。しかし、私が強調したいのは、この世の中には「失って初めて分かる有難み」というものが数多くあります。そして「健康」、または「いつも通りに生活できる」ということほど、実は特別なことはないのです。
「健康」と言っても、漠然としていてイメージしにくいので、一つ例を挙げてみます。例えば、口の中に口内炎ができたとき、食事がつらくなるはずです。また、ちょっとした不注意で指を切ってしまって、いつもなら何気なく手を洗ったり、シャンプーするのに、そのときばかりは指を濡らさないようにしたり、不自然な手の動きになってしまうはずです。そのとき、誰もが「いつもならこんな不便なことはないのに」と思い、早く「いつも通り」に生活できることを願うのではないでしょうか。
これは「健康」というよりも、普段の正常な状態ではないかと思う方もいらっしゃると思いますが、実は「健康」の定義は非常に幅広いものなのです。世界保健機関 (WHO)の憲章では、「健康」を「ただ疾病や傷害がないだけでなく、肉体的、精神的ならびに社会的に完全に快適な状態であること」と定義されています。国語辞典で調べみても同じ意味が記載されています。つまり、日常生活を快適に過ごすことができる身体、精神、環境をまとめて「健康」と呼ぶのです。
いずれにしても、何気ない普段の姿がちょっとしたアクシデントによって、ほど遠いように思えてしまうことはないでしょうか。