小さな幸せの見つけ方

いつも通りであることの有難さ

2018.07.02 公式 小さな幸せの見つけ方 第23回
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いつも通りの大切さ

私たちは無意識のうちに、この「ほど遠い」と思ってしまう姿を当然のこととして錯覚し、日々の生活を送っているのです。実は日々を何気なく生活することは、「有難し(めったにない)」という意味で有難いことなのです。これは、「当然」というものを突然失ったことのある人でしか理解できないことかもしれません。いや、もしかすると、そのような方も忘れてしまっているかもしれません。

例えば、私は以前自分ではどうすることもできない問題が起こり、何日も苦しみ、心配で夜も眠れず、次第に胃が痛くなったり、身体に異常が生じてきたことがあります。ある意味、生きた心地がしないような状態でした。そして、ある日問題が解決したとき、今までに感じたことがない程の安堵感を覚えました。しかし、よく考えてみると、それはただ心配事がなくなり、ゼロ(普段通り)に戻ったにすぎなかったのです。そのときほど「当然」だと思っている日々の生活が、いかに有難いものであるか感謝したことはありません。

また、極端な例になってしまいますが、ある朝、元気に「いってきます」「いってらっしゃい」と挨拶を交わした家族の方と、もう二度と会えなくなってしまうこともあり得るのです。いつどこで何が起こるか分からない不安定な現実の中で暮らしているのが、私たちの本当の姿なのです。そしてこの事実だけは、世界中の誰であろうと同じなのです。

こう考えると、いつも通りに生活できている「今」という時間がどれほど大切なものなのか見直すことができます。私たちの多くは「幸せ」というものを、後悔や未練という形で過去に見出し、願望という名で未来に求めがちです。しかし、実はそれらは「幸せ」ではなく自分の理想、別の言い方をすれば「我欲(がよく)」というものです。

幸せとは、「自分の力で生きている」という概念を越えて、私たちはいろいろな支えの中で「生かされている」ことに気付かされ、感謝することなのではないでしょうか。

このようなことを言う私自身、体調を崩してしまっても、いつも通りに回復すると思い込んでいます。お恥ずかしながら、どうもあの苦しかった経験を経て得た安堵感を忘れてしまい、普段の生活に満足出来ず、未来に我欲を打ち出しているようです。

いま一度、「いつも通り」というものは自分の力で成り立つものではなく、無数の現象の重なり合いによって成立しているということを認識し、私が思っている「普通」は「当然」ではなく「特別」であり「稀」なことであると自覚して生活したいと思います。

そのためにも、朝起きて「今日も幸せだ!」と口にすることから始めたいと思います。よく考えてみると、目が覚めるということもまた「特別」なことです。その意味では、私たちは毎朝、目覚めたときから幸せがスタートしているのです。

 

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プロフィール

大來尚順
大來尚順

浄土真宗本願寺派 大見山 超勝寺 住職
著述家/翻訳家

1982年、山口市(徳地)生まれ。龍谷大学卒業後に渡米。米国仏教大学院に進学し修士課程を修了。その後、同国ハーバード大学神学部研究員を経て帰国。僧侶として以外にも通訳や仏教関係の書物の翻訳なども手掛け、執筆・講演・メディアなどの活動の場を幅広く持つ。2019年、龍谷大学 龍谷奨励賞を受賞。著書に『あなたは、あなた。』(アルファポリス)『超カンタン英語で仏教がよくわかる』(扶桑社) 『小さな幸せの見つけ方』(アルファポリス)など多数。

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