日常生活において、ちょっとした相手への気遣いや思いやりで、人から感謝されることがあると思います。例えば、鉛筆を取ってと言われ、消しゴムと一緒に鉛筆を渡してあげると、「気が利く」と褒められるでしょう。実は、これは実際に私が幼い頃に、怒られてばかりいた父から、珍しく褒められたときの一つの思い出です。
その時の嬉しさがきっかけになったのかは定かではありませんが、私は今でも「気が利く」というお言葉を頂くことがあります。外国人と仕事をすることも多い関係上、よく外国人のクライアントさんとのお付き合いで接待などがありますが、料理の取り分けやお酌をしたり、様子を見てお水やおしぼりなどを頼んだりします。また、時にはちょっとした日本のお菓子や、その方の好きなお酒を手土産としてプレゼントしたり、その気配りに驚かれることもあります。
誤解を避けるためにひと言付け加えると、特にゴマを擦ったり、好かれたいという思いを持って行動しているわけではありません。ただ、相手が喜び、笑顔になってくれるのが好きなのです。ですから、サプライズをするのは大好きです。
この姿勢は、おそらく私が幼少の頃、さまざまな方が出入りするお寺で、祖母や母と一緒に訪問される方にお茶やお菓子を出したり、ちょっとした世間話や笑い話をするなどして、おもてなしをする中で培われてきたものだと思います。祖母は私に「せっかくお寺に来てもらったんじゃけ、元気になって帰ってもらわんとね」と、よく語りかけてくれていたのを覚えています。
ある接待の時のことですが、外国人のクライアントさんから、「You have a head on your shoulders!」と言われたことがあります。これは「気が利く」を英訳した一つの表現です。直訳すると「両肩の上に頭がある」という意味となり、この表現に混乱してしまう方も多いと思いますが、これは「賢い頭を持っているね」というニュアンスです。
他にも、「to be sensible」(思慮のある)「to be smart」(賢明な)「to be tasteful」(風流な)「to be tactful」(機転の利く)「to be thoughtful」(思いやりのある)などが「気が利く」の英訳として当てはめられるようです。
これらの表現はさまざまな角度から「気が利く」を捉えているもので、私たちのイメージする意味に何かしら触れていると思います。しかし、私は大事な視点がこれらの表現には欠けているように思えるのです。
日本語の「気が利く」とは、「心がゆきとどく」「しゃれている」(相手に対して)ことを意味しますが、大事なのはその過程です。つまり、どのようにすれば相手に心をゆきとどかせたり、しゃれたこと(服装など)ができるのかということです。
それは、第一に「相手のことを考える」ことです。この「相手のことを考える」うえで、私が大切にしていることがあります。それは、自分自身の存在意識の捉え方です。普段、多くの人は「自分」の存在を考えるとき、「自分が存在して、相手が存在する」と考え、第一に自分の存在を優先しがちだと思います。しかし、私はそうではなく「相手が存在して、自分が存在する」と考え、周りの人を優先します。
私は、「気が利く」という言葉の根底には、この意識が関わっているのではないかと思うのです。そして、この視点が英語の表現には含まれておらず、私は何か欠けているように感じてしまうのです。