しかし、ここで注目すべきことは、「風情がある」と言った人が指すものが、必ずしも万人に同意されるものではないということです。つまり、一人ひとり過去の生い立ちや育った環境によって「風情がある」と感じる「ものさし」が異なるのです。
私の場合、大自然の中で生まれ育ちました。空気・水・食べ物(肉・魚・野菜)などすべてが美味しく、一面に広がる田園風景と美しい山々に囲まれた環境で育った反面、時として四季折々の季節の変化に伴い、自然の厳しい天候や災害とも直面しなければならないこともありました。しかし、そんな中でそれらに対応した生活の仕方を学びました。
その生活の仕方とは、自然の流れに逆らおうとするのではなく、暑いときは暑い、寒いときは寒いという、自然の現実を受け入れた生活の仕方です。別の言い方をすれば、「自然と一体化」した生活です。私が「風情がある」と口にすることの根幹には、この生活の体験があり、そこに儚さ、質素さ、静寂な情景があるのです。
私は「風情がある」というのは、この「自然と一体化」という体験が深ければ深いほど、強く思えるものではないかと思います。そういう意味では、世界のどの国の人々にも、その国で培われた体験をもとにした「風情がある」という感覚があるのかもしれません。
そんな中、今日の日本では「自然と一体化」するという生活や体験を持つ方が少なくなってきた気がします。その証拠に、「風情がある」という感覚が理解できないという声を聞くことがあります。日本という国に住むならば、この地でしか知ることのできない日本独自の「風情がある」という感覚を大切にしたいものです。
なぜならば、この感覚こそが日本が「世界に誇れる日本らしさ」を物語っているからです。また、この感覚を強く持つことは、私たちが日々の生活の忙しさや辛さで自分を見失いそうになってしまう時、ふと我に返り、心を落ち着かせ、安心を得ることのできる場所でもあるからです。こうした部分を踏まえると、私は「風情がある」とは英語で「To feel one’s origin」(自身の根源を感じる)と表現できるのではないかと思います。
私自身、錆びかけてしまっている「風情」を感じる感覚をいま一度研ぎ直し、心穏やかな生活を心掛けたいものです。