音楽が好きです。舞台制作に励んでいたのでフェスやLIVEには珍しく1つも行かなかった、2016年SUMMER。
昨年は、ヘアケアブランド資生堂TSUBAKIのキャンペーン広告でご一緒させていただいた、福山雅治さんのデビュー25周年夏の大創業祭に招待され、長崎の稲瀬山公園野外ステージLIVEに夏休みを兼ねて飛びました。オリジナルCM曲として制作していただいた『何度でも花が咲くように私を生きよう』を福山さんが歌ってくださったときは、感動がハンパなかったです。
先月には、友人に誘われて、世界で大注目のBABYMETALのLIVEに初参戦。彼女たちのことをまったく知らずに体感して、衝撃! を受けました。圧巻のパフォーマンスに、まさに完全燃焼した1時間半。
「ヘビィメタルとアイドルを融合させた彼女たちは、世界中の♥を鷲掴みしているワールドワイドなアーティストだ!」
そう実感させられたのでした。
僕は相変わらずラジオが好きで、昔からクリス・ペプラーさんの『J-WAVE TOKIO HOT 100』を日曜日のアトリエで欠かさず聞いています。もちろん個人的に楽しみながらではありますが、「今、何が旬なのか? この曲、CMに起用したらいいかも?」という“お仕事クリエイターモード”だったりもします。ちなみに以前、クリスさんとはお仕事をご一緒させていただいたことも。
で、今ハマっているものの1つがクラシックです。朝からNHKラジオにチューイングを合わせて、気持ちいい音色に触れ、通勤時に気分のモードを切り替えています。 そしてもう1つは――JAZZ。JAZZのグルーヴは、聴いているとものすごく集中力が高まります。今、この連載を書いているお気に入りのカフェでも、JAZZが流れています。
JAZZといえば現在、来月11月23日に発売する、ジャズボーカリスト・ウィリアムス浩子さんのNEWアルバム『MY ROOM for Christmas』のCD・LPジャケット制作真っ只中であります。このアルバムは、ギタリスト・馬場孝喜さんとの大人気シリーズ『MY ROOM』の5作目となるクリスマスバージョンなのです(JAZZアルバムランキングでは、これまでに発売したシリーズ4枚とも、堂々のNo.1★を獲得!)。
浩子さんとの出会いのきっかけは、友人のジャズドラマー・柴田亮君からの1本の電話でした。
「僕がドラムを演奏するので、よかったら明日聴きに来ませんか?」
JAZZのLIVEなんて久方ぶり。柴田君の演奏を聴きに行くのも実は初めてでした。
会場は青山の『BODY & SOUL』。行ったことのないお店だったこともあり、会場内がどんな様子なのかまったくわからないまま、恐る恐る恐る、お店のドアに手をかけます。足を踏み入れた店内は、グッと重厚な、大人の社交場という雰囲気。どのお客さんも、食事やお酒や会話、そしてもちろん音楽を、心から楽しんでいるようでした。店内の照明は各テーブルに立てられたロウソクの灯りのみ。
「なんてステキな空間なんだろう」
思わずトキメいてしまいました。
やがてLIVEの時間となり、臨場感あるこの空間に颯爽と現れたのが、ウィリアムス浩子さんでした。彼女がマイクを手に発声した瞬間――その歌声にドキューンと聴き惚れてしまいました♥
情感たっぷりに歌い上げるその様子は、月並みな表現ですが震えるほど魅力的で、僕は目をつぶって彼女の歌声とセッションに吸い込まれ、酔いしれたのでした。
そしてLIVEの後、柴田君から浩子さんを紹介され、「感激しました!」と感想を相変わらずのテンションで伝えました。すると、僕のクリエイトの仕事に興味を持ってくださった浩子さんから、「ちょっと考えているプランがあるので、ぜひ相談に乗ってほしい」と夢のようなお話が。こうして、素敵な夜は更けていったのです。
この日、嬉しいサプライズがもう1つありました。浩子さんから、ご自身のCDをプレゼントしていただいたのです。だから僕の部屋では、今でも彼女の歌声が響いています。もちろんCDの歌声も素敵なんですが、やっぱり何より、生、生、生! LIVEが、もう本当に最高なんです!!!
その後、浩子さんは僕の展覧会に足を運んでくださり、ここで改めてオファーをいただきます。
「ギタリストとのコンセプトアルバムを構想している。ぜひジャケットのアートディレクションをしてほしい」
僕はこれまで、何人もの歌姫とクリエイションをしてきました。JAZZボーカリストでは、青木カレンさんのアルバム『voyage』などのアートディレクションを担当したことも。浩子さんはそのこともご存知でした。
でも、思えばジャズシンガーとのクリエイションは久方ぶり。しかも、その歌声に一発で聴き惚れた♥アーティストからのオファーです。これはもう、クリエイター冥利に尽きるのひと言。
浩子さんに、僕はこう答えました。
「僕でよければ、お力になります」
こうして、ウィリアムス浩子プロジェクトは動き始めたのでした。