日本の企業社会に「上下」の関係性が目立つのは、日本人がドメスティックな関係性、すなわち「家族」というものをほとんど無意識に人間関係の基本に置き、それをスライドさせてとらえているからだと考えられます。上司と部下、店員とお客さんの関係性は、親子の関係性がそのままスライドしている。これはほとんど無意識のうちにいわば刷り込まれた関係性です。
相手を怒らせてしまったときに強い恐怖や不安が生じるのは、「この人と今後も長く(それこそ家族のように)付き合っていかなければいけない」と、無意識のうちに感じているからこそです。
日本の企業社会がいかにドメスティックかは、組織の構造をみてもよくわかります。たとえば、日本企業のトップである「社長」と、欧米の企業のトップであるCEO(最高経営責任者、Chief Executive Officer)は、ニュアンスが大きく異なります。
欧米の企業では、会社の所有権(いわゆる「オーナー」ですね)は株主であって、CEOは、株主に「雇われ」て経営のトップに立っているケースが多いと思います。簡単に言えばCEOというのは、株主の判断によって、いつでも「クビになる可能性がある存在」だということです。たとえ年間10億の報酬をもらっていたとしても、CEOはいつでも解雇される可能性がある。
これに対して、日本企業の場合、一般的には「株主が社長をクビにする」という発想がありません。もちろん、日本の「社長」も、制度としてはクビになる可能性はあります。しかし、現実には、年齢などで社長が代替わりすることはあっても、よほどのことがない限り、社長は社長です。子供が成人しても、父親が父親として振る舞うのと似ています。日本の「社長」は、限りなく「お父さん」に近い存在なのです。
一般的には、欧米的な企業のあり方のほうが合理的で近代的だと考えられているきらいがありますが、僕はここで、両者のどちらがよい、という話をするつもりはありません。世界の企業のなかで100年以上続いている会社の多くは日本企業だという話もありますが、ドメスティックな関係性には、メリットもあると思います。
ただ、こうした企業のあり方がビジネスの人間関係を「上下」に固定化してしまい、「怒られる」ことへの恐怖心を生んでいることを知っておくことには意味があると思うのです。
日本で仕事をしている以上、ある程度、相手の感情を推し量ったり、情緒的なコミュニケーションを行うことは必要です。情緒的な部分を完全になくしてビジネスの交渉を行うのは、日本では難しい。ただ、あまりにも情緒的なことばかりに囚われていたら、仕事は前に進まなくなります。
僕は、もしも交渉の相手が「怒っている」ということに気づいたら、その時点で「ラッキー」だと自分に言い聞かせることにしています。最悪なのは、相手が怒っていたり、不愉快に感じているのに、そのことに「気づかない」こと。そのほうが、問題は大きくなります。そういう意味では、自分の立場が「上」にあるときのほうが、相手の怒りに気付きにくいので、要注意だとも言えるでしょう。
いずれにしても、相手が「怒っている」ということがはっきりしたら、やるべきことは「失点を少しでも挽回しておく」ことです。そしてこのとき、大切なことは、「失ったものをすべて取り戻そう!」とは考えないこと。失点を挽回するのはせいぜい15点、場合によっては5点程度でも十分なのです。
というのも、先程も述べたように、ビジネスのコミュニケーションにおける本題は「情緒のやりとり」ではなく、具体的な「条件交渉」だからです。こちらのミスで、相手の感情が80点から40点程度まで落ち込んでしまったとき、私たちは無意識のうちに元の80点、ことによると100点まで、相手の感情を回復させようと焦ってしまう。しかし、そんな必要はないし、相手もおそらくそこまでは求めていません。
もしも、自分のミスで相手の感情を40点ほどに落ち込ませてしまったとしたら、まずは「55点」ぐらいを目標に失点を挽回するように試みる。そこまで失点を挽回したら、条件交渉自体は不可能ではないはずです。
では最後に、「相手が怒っているときに、具体的にどう対応をすればよいか」ということについても、述べておきましょう。
最初に覚えておいてほしいのは「相手の怒りをなだめようとしてはいけない」ということです。
そもそも「怒りをなだめる」というのは、簡単なことではありません。ましてや、怒らせた当人が相手の怒りをなだめるのは無理があるというのは、ちょっと考えれば誰にでも想像がつくことでしょう。
ところが、「相手を怒らせること」への恐怖心が強い人ほど、必死に相手の怒りをなだめようと右往左往します。その結果、さらに相手の怒りを買ってしまう、ということが起こります。
相手が怒ってしまったときの対応として一番大切なこと。それは「謝罪の定形」を守る、ということです。丁寧に頭を下げる。謝罪の言葉を述べる。相手が求めているものに耳を傾け、答えられることに答え、必要な行動をとる。これが、謝罪の定型です。
「嫌われたくない」という気持ちが強い人ほど、相手の感情に振り回されて、謝罪の定型を崩してしまいがちです。
怒っている相手というのは、「私の感情をなだめよ」というサインを出してきます。でも、それに引っ張られてしまうと、謝罪でいちばん大切な「謙虚で誠実な態度で対応する」ことができなくなってしまいます。きちんとした「所作」を守ること、それをきちんと、丁寧にやること。下手に「相手の気持ちを慮(おもんぱか)る」ことよりも、それはずっと大事なことなのです。
また、問題が長期化してしまったとき、あるいは謝罪の対応のタイミングを逸してしまったときには、相談できる相手が身近にいるということも大切です。すごくキレのいいアドバイスをもらえなくてもかまいません。とにかく常識的で、落ち着いて話を理解してくれる人に、話を聞いてもらう。そうすると、自分が相手との情緒的な感情のやり取りにどの程度巻き込まれているかが自ずと分かってくるものです。
特にこちらに非がある場合には、この作業は有益です。なぜならば相手とのやり取りを振り返るときに、ある一時点に集中することなく、その後の時間経過の中で、相手がどう感じて来ているだろうかということを部分的にでも追体験でき、実のある謝罪に繋がることがあるからです。長期化した場合にはここも重要なポイントです。相手はその瞬間の迷惑だけではなく、その感情的な思いをずっと抱えて生活してきた可能性があり、それに思いを致すことができるからです。
これも、相手を怒らせてしまったときに正しく対応するためには、大切なポイントだと思います。
次回に続く