かくいう私は昔、沈黙の価値があまりわかっていませんでした。
もともと、人の話を聞くのも好きなほうではありましたが、子どもの頃は、親からたびたび注意されるくらいおしゃべりでしたし、どちらかというと、頭の回転が速く、弁舌さわやかで目立つ人を優れた人、寡黙な人を地味な人ととらえていました。
加えて20代前半までは、会議でも打ち合わせでも日常会話でも、「何かしら発言しておかないと、自分がここにいる意味がなくなる」という思いにかられ、わざわざ言わなくてもいいことを言って会議の時間を無駄に延ばしてしまったり、非常に浅い発言をし、自分の愚かさをさらけだしてしまったりしたこともしばしばありました。
そんな私が、沈黙の大切さに気づくきっかけになったのは、20代半ばから、週末だけ、バーでアルバイトをするようになったことでした。
ちなみに、当時働いていた会社は副業禁止だったはずですが、ある日なぜか突然、バーでアルバイトをしようと思い立った私は、行きつけのお店に働かせてほしいと頼みこんだのです。
それまで、客として飲みに行ったことは何度もありましたが、バーカウンターの内と外では、見える景色が違いました。
カウンターの内側にいるときに求められるのは、お客さんが聞きたい話をするか、お客さんの話を聞くかのどちらかであり、お客さんが聞きたい話ができているか、お客さんの話を聞くことができているかは、お客さんの態度にすぐに表れます。
大げさな言い方になりますが、会社の看板を背負ってクライアントと打ち合わせをするときとは少し異なり、バーでは、「一人の生身の人間として、目の前にいるお客さんにどう向き合うか」が試されている。そんな感覚がありました。
最初のうちは「面白いことを言わなければ」という気持ちもあったものの、何時間も、誰に対しても面白い話を提供できるほどの話術もスタミナも、私にはありません。
そこで自然と「基本的には、お客さんから話を引き出し、聞く」という営業スタイルに落ち着いていきました。
ただ、失敗したなと思ったことも何度かあります。
お客さんが一生懸命話しているときに、つい口を挟みたくなって、話の腰を折ってしまい、お客さんががっかりしたような、不満そうな表情になったこともありましたし、お客さんが好きな映画の話をしているときに、ついその映画に対して批判めいたことを言ってしまい、明らかに空気が悪くなってしまったこともありました。
また、自分自身はあまり話さず、カウンターの中でお客さん同士の会話を見聞きしていて学ぶこともたくさんありました。
● 話したいという衝動を抑えきれなくて、あるいは「自分は賢く、いろいろなことを知っている」とアピールしたくて、相手が一生懸命話しているときに、会話を先回りしたり、自分の知識を披露したり、自分の話に持っていってしまったりする人
● 正直すぎて、あるいは「毒舌で鋭いことを言う自分」になりたくて、相手が楽しい話をしているときに、水を差すようなことを言ってしまう人
● 何かうまいこと言わなきゃ、面白いことを話さなきゃと焦って、かえって頓珍漢なことを言ってしまう人
● 逆に、人の話を静かに聞いて、好感を持たれる人
そうした人たちを、カウンターの中から観察し続けた経験から、私は「相手に気持ちよく話してもらうため、とにかく、人が話しているときに、余計な口を挟まないこと」を以前よりも心がけるようになりました。
同時に、余計なことを言ってしまうときは、自分をアピールしたい、自分を高く評価してほしいという気持ちが根底にあることが多く、それはたいてい逆効果になる(何も言わないほうが、むしろ相手からの評価は高くなる)ということも学んでいきました。
そして、バーで学んださまざまなことは、その後の会社での仕事やライターとしての仕事でも、かなり役に立ったのです。