日本で一番信者の多い宗教はもちろん仏教だが、その中で最もマジョリティなのが浄土真宗である。浄土真宗の開祖は親鸞聖人(しんらんしょうにん)だが、親鸞の時代の浄土真宗の門徒(檀家)は、ごく少数のマイノリティであった。このマイノリティを一躍日本最大の宗派に拡大した功労者は、蓮如上人(れんにょしょうにん)である。
親鸞の教えを広めんと全国津々浦々を歩き、多くの人々を信者としていったのは、蓮如の布教にかけた情熱の賜である。人の心に言葉を届けるには「熱」が必要なのだ。熱なくば伝わらず。言葉を伝えるのに「熱伝導の力」は大きい。
ビジネスの世界では、情熱で人を動かした人は大勢いる。中でも代表格は、やはり本田宗一郎だろう。一介の修理工場の時代から世界一の車をつくると豪語し続け、何の実績もなしに世界最高峰の二輪レースに参戦し、そこでチャンピオンに昇りつめた。そして、自動車の世界でも最高峰のF1レースでチャンピオンとなったのは、まぎれもなく本田宗一郎の情熱があったからだ。そんな彼の情熱に社員は動かされ、それが結果に結びついたのである。
日本野球協会副会長で、ソウルオリンピックの日本代表監督だった鈴木義信氏から、こういう話を聞いたことがある。1988年ソウルオリンピックで、野球の決勝は日本対アメリカだった。アメリカチームのピッチャーはジム・アボット、後にメジャーリーグで活躍した名選手である。彼には、生まれつき右手の手首より先がないというハンディキャップがあった。彼は、投げるときにはグラブを右手首の上に置き、投球直後に左手にはめるというスタイルで打球に備えていた。
日本チームの攻撃のとき、打球がピッチャーライナーとなってアボットに向かって行った。グラブはまだ左手に収まっていない、危ない、よけろと日本ベンチの誰もが思った。しかし、アボットはよけようとはせず、胸でボールを受けて、下に落ちたボールを素早く拾い上げてファーストに投げ、バッター走者をアウトにしたのである。
日本チームは結局アメリカチームに敗れ、銀メダルに終わるのだが、勝敗を分けたのがこのアボットのプレーだったという。日本ベンチは、アボットの鬼気迫る熱いプレーに圧倒されてしまったのだ。熱い心は相手チームにも伝わり、勝負をも左右するのである。
原稿も同じことであり、作家の情熱がこもっていなければならない。「これだけはわかってほしい」という熱い想いが読者に伝われば、読者の心は動かされる。原稿のクオリティに対する影響力は、「技術 < 情熱」である。技術は拙(つたな)くても、何かを伝えたいという作家の想いが熱ければ、それは自ずと読者に届くものである。
情熱があることは望ましい。しかし、情熱だけがあればそれで万事OKかというと、実は残念ながらそうはならない。話が違うじゃないかと思うかもしれないが、これもまた事実なのである。
石川啄木や萩原朔太郎であっても失敗作はある。それは自分の思いが強すぎて、情熱が空回りした作品だ。二人とも詩人であるが、評論も書いている。啄木は小説も書いた。二人の評論は、その主張が何年も自分の中で蓄えられ、熟し、発酵したものであることはよくわかる。熱もある。言いたいことはよくわかるのだが、どうにも固い。熱意がかえって仇(あだ)となっているようだ。詩人、歌人としてあれだけの才能を発揮する人が、評論となると何ゆえここまで肩に力が入るのかと不思議である。
肩に力が入り過ぎた原稿は、往々にして読者がついて行けず、置き去りにされてしまう。作家の頭の中は言いたいことでいっぱいとなり、視界の中に読者が入っていないように見える。いかに情熱を込めようとも、聴き手、読み手の存在を忘れては、伝わるものも伝わらない。私は「これが言いたい」という情熱は、同時に「これだけは読者に伝えたい」という熱い想いでなくてはならない。「これが言いたい」だけでは、それがどれだけ熱い想いであっても、言えばそれで作家のガスが抜きて終わりである。
作家の意図は読者に伝わって、読者の心を動かすのは、ただ言えば(書けば)終わりというわけではない。「言いたいこと」と「伝えたいこと」は一見すると似たようなものだ。そして、主語はどちらも「わたし」である。しかし、「誰に」という目的語があることで、ただの熱は「人に伝わる熱」になる。作家の情熱の先には、必ず読者がいることを忘れてはならない。
次回に続く