前回、ビジネス書の読者率では、経営コンサルタントや弁護士や税理士といった士業の人たちが、ビジネスパーソンの読者率よりも高いのではないかという話を書いた。
無論、ビジネスパーソンと士業の人たちでは母数が違うので、読者率は士業の10分の1以下であったとしても、読者の絶対数としては圧倒的にビジネスパーソンのほうが多いはずだ。
したがって、2万部を超える本をつくろうと思ったら、母数の大きいビジネスパーソンに向かけた本づくりをしなければ不可能だろう。しかし、読者率は低いので、当たりの出る確率も低い。
一方、読者率の高い士業の人を的にして本をつくれば、3千部しか出ないかもしれないが、大ハズレはしない安定した数字が期待できる。
出版社の倒産が多い中、地味な実務書籍系の専門書出版社が意外に生き残っているのは、こうした堅実さが背景にあるのだと思っている。
士業の人たちは、ビジネス書のテーマそのものが自分たちの仕事の中身、いわば稼ぎのタネである。関心が高いのは当然だ。
そういえば、ビジネス書でも金儲けのタネ、仕事のタネになる本は、昔から売れ筋のひとつだった。高額の値段をつけて「金儲けの情報」的な本を直販で売っていた業者は過去にたくさんいた。だいたい赤坂、虎ノ門方面に多かったような気がする。
現在のビジネス書の出版社に、こうした高額書籍を直販する業者はほとんど見かけない。彼らはどこへ行ったのだろうか。
話を読者に戻そう。
ビジネス書の読者は優秀なので、誤植があっても、誤植を自分で補正して読み進むことができる。なので、誤植を気にするよりも、制作のスピードに力を費やすべきだと言っていた大先輩がいた。
無論、こんなことを言っていたのは彼だけである。
しかし、彼の極論は一面の真理を突いていると今でも思っている。
ビジネス書では、よほどの間違いであっても、クレームがくることは少ない。私の個人的な体験でも、読者から質問をもらったことは何度もあったが、クレームをもらったことは記憶にない。
一方、学習参考書、受験参考書などでは、かなり強いクレームがくるようだ。
受験参考書には、TOEICや簿記の検定など資格試験の参考書も含まれる。
この種の本が間違ってはいけないのは当然であるが、それでも1時間以上にわたり延々と電話で苦情を述べる人の心中には、いったいどれほどの怒りの炎が燃え盛っているのか想像もつかない。
ビジネス書の読者とは、誤植や間違いに対する反応がずいぶん違うものだと思う。
それがビジネス書の読者の賢さ故とは思わないが、あまり波風を立てることを好まない社会人の身の処し方というものは影響しているのだろう。
士業の人もビジネスパーソンも、同じく社会人である。つまり、ビジネス書は作家も大人であり、読者も大人なのである。
コミックの編集からビジネス書へ移ってきた人が言っていた、印象的なセリフがある。彼はしみじみとこう言った。
「ビジネス書の作家さんは、みんな丁寧で常識ある人ばかりで助かります」
コミックの作家が、みんな非常識ということではない。ただ、コミックや文芸の世界では、社会に出ることなく作家デビューし、そのままずっと作家として生きているという人もいる。社会経験の乏しい作家さんの中には、どうしても常識的な大人の対応というのが苦手な人もいるようで、編集者はけっこう気をつかうらしい。
ビジネス書の作家の場合は、社会人体験のない人などいるはずがない。
……と思っていたのだが、近年の自己啓発書の作家を見ていると、必ずしも社会人経験豊富な人が作家をやっているようでもなさそうである。それはある意味、ビジネス書の広がりにつながることなので、悪いことでもなかろうと思っている。
細かいことは捨象するとして、とりあえずビジネス書の読者は大人である。これは、ビジネス書の読者の特徴を挙げるうえで、ひとつの結論と言ってよいだろう。
もうひとつ、私は、ビジネス書の読者が他のジャンルの書籍の読者と異なる点があると思っている。それは、ビジネス書の読者は読者を増やすということだ。それも大量に。
口コミというのは、小説でも実用書でもある。もちろんビジネス書でもある。
口コミというのは、ひとりの口から他の人へと掛け算で広がっていく。ところが、ビジネス書の読者が読者を増やす場合には、掛ける10とか、掛ける100という単位で増えることがよくある。
過去には、社員研修の副読本として採用されると、一度に数10冊から数100冊を一社でまとめ買いしてくれていた。大手企業では人事部が一括で購入してくれるし、中堅・中小企業では社長が気に入った本を毎年全社員に配るというところもあった。
毎年の企業のまとめ買いで、累積が3万部を超えていた本もある。世の中には、30万部を超える本もあると聞く。
ビジネス書の読者には、部下に読ませるためにまとめ買いをする人がいるのである。
こうしたことのできる読者は、他のジャンルではちょっといないと私は思う。いかに村上春樹氏のファンであっても、部下や社員全員に「これを読みなさい」と渡す人はいないだろう。
本当は渡したくても、文芸書の場合はちょっと渡しにくいところがある。
その点、ビジネス書は社長から社員に渡すにしても、渡すほうも渡しやすいし、もらうほうももらいやすい。
ビジネス書は、こういう読者に支えられているのである。
次回に続く