ある程度、ビジネスパーソンとしてキャリアを積んだ人ならば、誰でもビジネス書を書くことができるのは間違いないと思う。
誰の言葉だったかは思い出せないが、人は誰でも1冊の本が書けるという。
誰でも書ける本というのは、それが自分自身のことを書いたもの、すなわち自身の半生記だからだ。
この識者の言葉を敷衍(ふえん)すると、自分自身のビジネス体験に基づいたものであれば、誰でも1冊はビジネス書を書くことができるということになる。
これは8割方正しいだろう。
誰でも1冊の本が書けると言った識者は、続けて「しかし2冊目、3冊目を書くことが難しい」と言っていた。半生記は、普通1回切りだからだ。
2冊目、3冊目と続けて著書を出すためには、半生記以外の執筆テーマを持っていなければならない。
私が若いころは、ビジネス書は実務書(ノウハウ本)がほとんどだったので、「大手メーカーで海外事業を立ち上げました」であるとか「トップセールスでした」という実務経験を売りにしている作家が多かった。
彼らの半生記とは、すなわち成功体験なので、半生を振り返ることは具体的なノウハウをたどることでもある。
非常に貴重な実務経験ではあるのだが、本人の半生ばかりをそう何度も繰り返し本にすることはできない。
同じ作家の本でも、切り口を変えたテーマでつくらなければ、読者はついてきてくれないからだ。そのうえで2冊目、3冊目となると、いつも作家と私は、お互いに知恵を絞り合ったものである。
そういうときに私がやっていた(私だけではないが)のは、改めて作家のやってきたこと、昔話を聞くことだった。傍からは雑談にしか見えなかったと思う。事実、雑談に終わったことのほうが多かった。
そんな打ち合わせだから、社内ではやりにくかったので、たいていは会社の近くの喫茶店でやっていた。
こうした作家の体験を改めて聞くという作業を、いつの頃からか、密かに私は「作家の在庫の棚卸し」と呼ぶことにしていた。
作家自身はあまり大した経験ではないと、ほとんどその価値を意識していなかったことを、こちらで「そういう体験があるなら!」と、次回作に結び付けたことは何度かある。
作家から「実は何度か会社を辞めようと思ったことがあるんだよね」と打ち明けられ、「それじゃあ、どうやって気持ちを立て直したんですか」という話になり、そこから「仕事がイヤになったら」とか「辞めたくなったら」というテーマが浮かんだこともある。
そんな私の体験から言うと、作家のほとんどは自分の中にある資産(執筆テーマ)の1割くらいしか認識していない。
よく人間は脳の1割しか使っていないといわれるが、作家の「資産活用」の割合も似たようなものだと思う。
出版とは、いわば作家の「資産活用」の手段であるから、本を書くときには自分が積んだ経験や蓄えた知識を一度棚卸ししてみたほうがいい。
専門家にとっても棚卸しは有効だ。
上記は自身の体験がノウハウという作家の例だが、税理士などの有資格者や、話し方や生産管理など、専門分野がはっきりした、いわゆる専門家の場合でも棚卸しはしておいたほうが有利なことが多い。
なぜなら、専門分野のことであっても、個々の経験が加味されることによってテーマの切り口が増えるからだ。
たとえば、同じ節税であっても大企業と中小企業では、そのノウハウが異なるだろう。
また、税務から企業に入って、経営全般の改善に至ることは、税理士にとって珍しいことではないはずだ。中小企業の経営に精通していれば、マイナンバー対策を税理士や社労士が書いても不思議はなく、会議を効率化した経験があれば、会議術を書いてもよい。
話し方などコミュニケーションの専門家が「ほめ方」の技術を書くためには、コミュニケーション理論だけで押し切ることは難しく、なにより過去の成功体験が説得力の源になるはずだ。
専門家が専門分野で書くことに困ることはないだろうが、自分の棚卸しをすることによって、より広範な、いわばハイブリッドなテーマの発見に結びつく。
自分の棚卸しはいつやってもよいが、作家を志したときには、ぜひ一度やってみることをおすすめしたい。自分の棚卸しをすることによって、案外、冷静に自分という人間を再発見できるからだ。
作家になろうと考えた段階では、本当に作家になれるだろうかという不安を覚えることもあるが、自分の中に書ける材料のあることを棚卸しで再確認することによって、書く勇気も湧いてくるというものである。
では、実際にどうやって自分の棚卸しをすればよいのか、そのやり方についてはまた次回に説明しよう。
次回に続く