文芸書であれビジネス書であれ、作家を探す必要のない編集部はない。
編集者にとって作家の発掘は基幹業務といってよい。作家を発掘しない編集者は仕事をしていないに等しいのだ。
新人作家のデビューが狭き門であるという事実の一方で、編集者には作家の発掘という圧力が常に会社からかかっているのだ。
編集者の作家探しの現場は、大昔は市場、すなわち書店店頭が中心だった。
既刊本の中から作家を探すのだから、書店に本がなければ編集者の目にとまるチャンスはない。したがって前回述べた通り、自分の著書がある、つまりデビューしている人のほうが何かと有利となる面は多い。
では、著書のない作家をどう探すかとなると(著書のない人を作家というかどうかはともかく)、その手段は、ビジネス書作家の場合「セミナー」「講演会」それに「紹介」だった。
2000年代に入ると、これにメルマガ、ブログが加わった。
いっとき編集者は日がな一日パソコンに向かい、個人のブログを渉猟(しょうりょう)していたことがある。この頃は人気ブログが書籍になったり、ブログからデビューする作家が多かった。私のように古い人間は「作家はパソコンで探すものじゃない、足で探すんだ」と、苦々しく思っていたものである。
ビジネス書でも、当時多くのブロガーが作家へ転身したが、今日この傾向は落ち着いているようだ。むしろ編集者の目は、以前に増して既刊本作家に向いている。
結局、時代は変われど、編集者が既刊本から作家を探すという基本動作はそれほど変わっていない。変わったのはリアル書店以外に、アマゾンという書店が増えたくらいだろう。
近年目立つのが、ことさらに実績のある作家にオファーが集中する傾向だ。
その背景には、本が売れないという事情がある。
出版業界のピークは1997年で、以来ずっと右肩下がりを続け、書籍の販売部数だけを見れば、現在は1970年代半ばの水準まで後退している。
このように出版界全体の退潮が著しいため、各社とも勢いや実績のある著者のネームバリューに頼るようになってきているのだ。
ビジネス書も例外とはいえない。冒険する余裕がないのである。
そんな状況だから、新人作家にとってますますデビューは狭き門となっている。
しかし、それでもビジネス書や実用書は、企画がよくて原稿がよければ作家の実績はあまり気にしないところがある。無名の新人でも何の問題もない。
そこは他の書籍ジャンルに比べ、ビジネス書の新人作家にとって有利な点と言えるだろう。
また、ビジネス書作家は必ずしも専門家であることが条件ではない。
顧客の購買心理について書いている人が、必ずしも心理学者である必要はない。
その切り口や着眼点がユニークで有益であれば、税理士でも会計士でもない中小企業経営者が、節税のために本を出すこともできる。
自己啓発本はいま全盛だが、作家の中にはビジネス経験のない人もいる。ビジネス書には、そういう、いわば融通無碍(ゆうずうむげ)なところがあるのだ。
袋の中の針はおのずから頭角を現すという。
実力のある人は世の中が放っておかないものだ。いささか時間がかかったとしても、デビューのチャンスは必ずくる。
果報は寝て待っていてもよい。
その一方で、作家自らデビューに向かって動くという方法もある。
自費出版もその手段の1つではあるが、自費出版に踏み切る前には、だれでも1社か2社の出版社のドアを叩くものだ。いわゆる持ち込み企画、持ち込み原稿である。
持ち込みは作家の営業と言っていい。
作家からの持ち込みは、編集部にとってはありがたいことなのだが、持ち込みの成功率は現実にはあまり高くない。出版社の中には、あらかじめ持ち込みは受け付けないと断りを入れているところもある。企画は社内で、という基本方針があるためだ。
しかし、あえて誤解を恐れず言えば、いかなる出版社であれ、企画がよければ持ち込みだろうと何だろうと必ず通る。企画に自信があれば遠慮は無用である。
なにごとも額面通りでないのは出版社も同じ、それが世の中の真実の一つと言えよう。
とはいえ、持ち込みが簡単には陽の目を見ないのも厳然たる事実である。
せっかく持ち込んだ企画や原稿が、編集者から難色を示されると作家としてはプライドが傷つき辛いものだ。
だが、1人や2人の編集者にNGを出されたくらいで落ち込む必要はない。
友人の作家は、ある出版社を訪ね企画を持ち込んだが断られ、ついでだからと隣にあった出版社にアポなしで飛び込んだところ、そちらでとんとん拍子にデビューが決まり、さらにそのデビュー作が15刷(15刷は増刷が14回ということ)まで伸びて、数年後に企画を断った編集者に再会した折、ひどく相手を後悔させたという。
編集者といえども、見る目のない人は多い。
持ち込みが断られたとしても、それは実力のせいではないと考えてよいのである。
次回に続く