原稿を書くときに陥りやすいのが、自分の書きたいことばかり書いてしまうことだ。
「自分の書きたいことを書いて何が悪いんだ」と思われるかもしれないが、これも以前に触れたとおり、作家が書きたいものを書いたときには、ほぼその本は売れないという法則がある。
新人作家の場合、本が売れる・売れない以前に、編集者からNGが出る。
歌いたい歌ばかり歌っていれば、歌っている人は気分がよいが、聞いている人は辟易(へきえき)するものである。
本は、作家が書きたいことを書くための媒体といえないこともないのだが、何より読者が読みたいことが書かれたものでなければならない。
読者の読みたいことに応えていれば、どんなに作家が書きたいことを書きたいように書こうとも、何の問題も生じない。
しかし、はっきり言って、作家の書きたいことと読者の読みたいことは、たいていすれ違うものだ。
講演などのライブであれば、聴衆の反応が眼前に示されるため、途中で軌道修正も可能だが、原稿を書いている段階では、読者は目に見えない。編集者も傍らに付き添っているわけではない。そこで、ついつい自分のお気に入りのことばかり書いてしまいがちとなる。
これは文章にある程度自信のある人が、特に陥りやすい隘路(あいろ)である。
どんなに文章がうまかろうと、読者から遠く離れた原稿では、決して読者はついてこない。
読者がついてこない本とは、読み手のいない本である。
本に読み手がいなければ、それはもはや本といえない。単なる印刷物である。
自分の書きたいことを半分程度に抑えることも、伝えるための技術といえる。
自分の恣意(しい)、放縦(ほうしょう)を抑えることは、作家にとって基本マインドなのだ。
こう書くと、それでは以前にここで書いた「信じることを恐れずに書け」という話と矛盾するではないかと言われるかもしれない。
しかし、信じることを書くというのは、読者の存在を忘れて自分が書きたいことを書きたいように書くということではない。
もし、何か溜飲(りゅういん)が下がったように気分よく物が書けたときには、果たして読者に伝わるものを書いたのかと疑ってみるべきである。
次回に続く