経営者懇談会をやっていた当時、教育研修を手伝っていた会社がある。話はいきなり私がフリーランスになった後に飛ぶが、何年か前、所用で近くに行った折にその会社を訪問した。何年かぶりに、かつて私のカウンターパートナーとして、社内で教育研修を担当していた人にも会った。彼は取締役になっていた。社員のレベルアップに奮闘していた彼が、会社の中枢の役職に就き、経営の一端を担っていることは純粋にうれしかった。私のやってきたことの大半は結局何も生まなかったが、取締役となった彼を育んだことは、私にとっての数少ない成果だったと考えている。
話を90年代末に戻す。出版市場のピークは1997年である。日本でインターネットが本格的にスタートした直後に出版市場はピークを打ち、その後、なだらかに下降を続けることになる。何度もここで書いていることだが、インターネットの普及と出版市場とは明らかに相関関係がある。ビジネス書はインターネットの普及と情報量の拡大によって、大幅に劣勢を強いられるようになった。いわゆるビジネスの基本といわれるジャンルは、ほぼすべてインターネットで情報がとれるため、いままで最低でも5000部は売れた本が、2000部も売れなくなったのだ。
基本が売れなければ、キワモノをねらうしかない。しかし、キワモノをねらうには、私はすでに大分とうが立っていた。正直言って、いまさらキワモノねらいはやる気になれない。会社からは、経営者に顔が利くという点を見込んで、企業の買取がある本、経営的には損をしない本をつくれという話もあった。だが、それも気が乗る話ではない。どうせやるなら、自分のやりたいテーマ、大事だと思えるテーマをやりたい。だが、会社には会社の都合がある。できないテーマもあるのだ。何が出せて、何が出せないかくらいは、自分の手のひらを差すようにわかっていた。
しかし、うちの会社で出せない企画でも、会社が違えば出せる。企画自体が弱いわけではない。それならよその会社から出せばいい。そう考えて、私はいきなりフリーランスでやることにした。私の申し出を、会社は不思議なくらいすんなり受け入れた。
会社を辞めてしばらくは、大した仕事もなかったので本ばかり読んでいた。今日の出版物ではすぐに読み終わってしまうので、戦前の本ばかりを選んで読むようにした。戦前の本は、漢字が難しく、言い回しも今日とは異なるため、少し時間がかかったからだ。昔の新聞もよく読んだ。特に新聞の雑誌広告欄からは、いろいろと学ぶところが多かった。戦前の雑誌では、ムッソリーニもヒトラーも世界的な英雄であった。出版界の歴史を調べたのもこの頃である。すでに出版界に20年以上いたにもかかわらず、あまりに知らないことが多すぎて我ながら驚いた。そんなことを1年以上やっているうちに、ぽつぽつと仕事の問い合わせが来るようになる。持ち込んだ企画に反応が出始めたのである。
反応はさまざまだった。「当社は持ち込みは受け付けておりません」という返事のあった出版社から、別の持ち込み企画では「原稿があるなら読みたい」という返事が来たり、お蔵入りになったと思っていた企画に一年以上経ってから問い合わせが来たりと、ひとつの出版社しか知らなかった私にとっては、意外なことがたくさんあって面白かった。作家の買い取りがある本は、ビジネス書出版社ではどこもありがたがるものだが、うちでは買い取りがあることは言わないでくださいねと釘を刺された会社もある。このときは、会社が違えば、ずいぶん文化も違うものだとしみじみ思った。
持ち込み企画のハードルは、会社の規模とはあまり関係がないこともわかった。鍵は会社の規模ではなく、編集者との相性にある。これは考えてみれば当然のことなのだが、やはりやってみないことには、わからなかったことだった。本当におかげさまである。あのまま会社に残っていたら、決してつくることができなかった本も、いくつかはつくることができた。また、この記事にしても、会社にいたら一生書くことはなかっただろう。こんな私に数多くのチャンスをくれた、本サイトの編集の方をはじめとした各社の編集者には、いくら感謝してもし尽くせない恩義がある。
私は、そんなロートルビジネス書編集者だが、最近ビジネス書について改めて思うことがある。ビジネス書は必ずしも理想を語らない。だが、ビジネス書には事実、現実、真実の3要素に加え、創造性が必要だと思っている。ビジネス書はノンフィクションだが、創造性は夢と理想を包含する文学でもある。対症療法だけのビジネス書では、ネットの情報に勝つことはできない。だが、事実と現実と真実に基づく創造性で、読者の共感を得るビジネス書は、決してネットに後れを取ることはないはずだ。
そういう意味で、ビジネス書と文学の垣根を超えたビジネス書をつくることが、バブルのピークだった第一回の経営者懇談会で、「本当に経営に必要なものをつくれ」と私に諭してくれた、いまは亡き老舗工務店の社長に報いることでもあると考えている。
次回に続く